ゴジラその2

ストーリーについて
どのように分類するかは専門家に任せるが、私個人としては
1期 初代白黒ゴジラ1950年代-60年代前半
2期 怪獣島、キングギドラなど怪獣がたくさん出てくる60年代-70年代 ゴジラが正義の味方になる
3期 ゴジラ対人間に戻った、未来設定なのか新兵器で対抗する
4期 アメリカ版ゴジラが話題になる
5期 シン・ゴジラと今回の-1.0

シン・ゴジラでは設定は現在、戦うのも自衛隊、正義の味方は出てこない。陸自が全面協力している。ところがゴジラをいじりすぎた。ゴジラゴジラであってほしいのに違う形に変態している。よくできていただけにゴジラの設定が残念だった。

今回のゴジラは50年代の初代ゴジラの前という設定。戦後というところがいい。大戦中なら時期にもよるが日本には豊富な兵器と兵員がいた。それも面白そうだが方向性がずれる。
そこで昭和20年からということに。疲弊した日本に災難ということに。さらに当時の科学水準、当時の持ちうる兵器で戦うというのがよかった。
どんなにデジタルが進もうとも災難に立ち向かうのはアナログ技術ということだ。優れたレーダーや誘導装置がなくても人間がコントロールすればいい。そんな当たり前のことを昭和20年代の設定にしないとうまく作れないというのが悲しい。

ランボーは警察や軍隊と生身の肉体と頭脳で戦った。ターミネーターもアナログな方法で戦った。トップガンも従来型の機体、旧式の機体でパイロットの腕勝負というのが面白かった。
ドラえもんではないので秘密兵器がいきなり登場では興ざめなのである。

ゴジラ


アカデミー賞ゴジラである。
友人が一緒に見ようと持参して来てくれた。
このあとツッコミどころ満載なのである。
その1 DVD
今どき最新の映画をDVDで見ることになる。友人はBDレコーダーを持っていないという単純な理由。
今どきテレビでもYouTubeでもハイビジョン。DVD画質を4Kで見るのはなんとも。目が悪くなったような気がした。
その2 ゴジラC
映画が始まると白黒映像、大戦末期から物語は始まる。きっと回想シーンは白黒なんだろう、と見ていたのだがずっと白黒なのである。見終わったあとネットで調べて理由がわかった。カラー版と白黒版があるのだ。友人は白黒のDVDを購入した、ということだ。なぜ白黒なのか、理由はまだ聞いていない。
その3 時代考証
時代考証が正確かどうかはわからないが、私が知っている昭和20年代をかなり正確に映像化しているのではないか。特に登場人物の言葉に「戦争帰り」という言葉、当時の大人の男の多くは戦場を体験していたということだろう。そして戦争や軍人を美化するような話も出てこない。戦後を正確にというのもツッコミどころ。
その4 掃海艇
主人公の仕事が掃海艇というのが面白い。大和博物館の隣の自衛隊博物館にも掃海作業のフロアが広がっている。当時、数万個という機雷の除去は直近の問題だったのだろう。地雷ではなくて機雷というのが海に囲まれた日本らしい。
その5 船舶
戦後の話なので軍隊は解体され軍備は窃取破壊された。その中で残った駆逐艦などの表現がリアルでいい。今回のアカデミー賞海上シーンのVFXだと聞いているが、ゴジラも含めてよくできている。
マニアの人は主人公が乗っているバイクに食いついたかも。
その6 震電
何かの資料で後ろにプロペラが付いた日本の戦闘機を見たことはあった。が、大戦末期の末期に開発、テスト飛行をしたかどうかで終戦という幻の戦闘機。不格好、脚が長いなどよいイメージは無かったがこの映画では実に美しく映像化した。やっぱり飛行機は美しいのである。
あえて零戦や隼、大戦末期と言うなら飛燕や紫電改を使いたいところだが、震電にしたところが渋い。
資料によると、後ろにプロペラ、後部にエンジンになったためエンジン冷却のために左右にインテーク。もし戦争がもう少し長引けばジェット機の原型になったとも。エンジンがなくなったフロント部分に30mmの機関銃を積むことができて戦闘力は上がったそうだ。

ゴジラデザインとストーリー以外にもツッコミどころ満載だった。

お米が高い、カラシニコフ

このご時世であるから、ものを作って売るのは大変である。結局なんでも値上げである。
エアコンや冷蔵庫は多少値上げしても10年ぐらいは使うのでそれほど気にならない。が、毎日使うもの食べるものは値上げはこたえる。
以前にここで電気代のことを書いた。今回はお米である。
近くのスーパーで月に何回かお米の安売り。5kg税込み1500円。ところが最近やらないのである。
ネットショップで調べてみたが、30kgで1万円以下は無かった。先程のニュースで去年の夏の天候が収穫量減少だという。コメの消費量が年々減っているというのに今の日本で足りなくなることはあるのだろうか。どちらかと言うとどこが主導かわからないが便乗値上げだろうな。農家を守るのが目的だろう。

次に高いなあと思っているのがコーヒー豆。私はインスタントは嫌いでドリップして飲んでいる。どうせバカ舌で味などわからないからと、一番お安い豆を購入してきた。大体100g100円ぐらいか。ところがいつも買っている最低ブランドが高いのである。コーヒー豆も世界的に高騰している一つだとよくテレビでやっている。
ウクライナ戦争が発端なのか、コロナなのか、もしくは温暖化の異常気象なのか。どう転んでも人類は破滅に向かって進んでいる。

そう言えば月曜日の映像の世紀はよかった。テーマはカラシニコフベトナム戦争AK47とM16の対戦となったという私世代のガンマニアにはうんうんという内容だった。
どうして愚かな戦争をするのか、殺し合いをするのかという内容になっていく。と書いている私自身がガンマニア、人殺しは嫌だけどそれを目的とする兵器は好きな人が結構いるということ。カラシニコフはインタビューで「兵器が悪いのではなく人が悪い」と言っている。

というわけで今日の無駄遣いを

軍用機だが人殺しはしない偵察機。飛行機の歴史書で絶対に出てくる名機である。
優秀、高性能なものは美しいのである。

我が家の世にも奇妙な話

無人でなるドアホン
早朝に「ピンポ~ン」とドアホンがなった。ベッドの中で「誰だよ、こんな朝早く」と起きようとすると2度3度となる。
ところがである。外を見ると誰もいない、イタズラでもないらしい。何度か鳴ったあと大人しくなった。
翌日も朝6時50分ごろ「ピンポーン」、うーん、故障だな。ただし再現性がない。
カメラ付きなので親機の画像を確認する。朝7時と夜7時ごろに不定期に作動している。ネットで誤作動の検索。雨水の侵入や結露で回路がやられたか。
しかしながら、先日電池交換したときにも内部にそんな形跡はないし今どきのドアホンでそんなに防水性が悪いはずもない。
一つ見つけたのがボタンの戻りが渋くなっている、押されたら凹んだままになる、というのを見つけた。早速、玄関へ行って確認するとたしかにボタンの動きが渋くなっていることを確認できた。プラスチックパーツだが、556を吹きかけて様子を見ることにした。

格安SIMからキャンセルのお知らせ
へんなメールが来た。
今月契約してすでに開通している通信会社から書類が揃っていないのでキャンセルすると。
前に契約していた会社を確認するとすでに抹消されている、と表示。現行の会社にアクセスしても、お知らせや通知のようなものはない、通信量が表示されている。
万策尽きてサポートに電話。
こちらの本人確認が済んで、、、答えは、加入時に同じデータが2つあるということだった。1つは審査が通って開通、残った申込みがキャンセルということ。
つまり最近老化が進んでいる私は何でも二度手間でやっているらしい。そのログが残っているということ。サポートが言うには同じ日であるというから、ごちょごちょあーでもないこーでもないとやっていたのだろう。お恥ずかしい。
謎のメールは詐欺メールではなかった。

印鑑証明
トヨタからそろそろ納車という電話があった。
印鑑証明を新車と下取りの2枚用意せよ、とのこと。今日は30度に迫る暑さだが、昨夜まただめだと言われている夜食をしてしまった。
というわけで役所まで(これが結構近い)体操をしながらの散歩がてら徒歩で行くことにした。腿上げを中心に大股で、つま先を上げるなど外から見ていると恥ずかしい歩き方での散歩。ひと汗かいて役所に到着、印鑑証明。のカードを出して、、、あっ、嫁さんのカードだ。うーん、帰るしかない。また二度手間である。
汗びっしょりになって帰宅、もう歩くのは嫌だとバイクで役所に向かう。
これからこうして老化と戦いながら、付き合いながら生きて行くのである。

新幹線EX予約旅

年に1度位は東海道新幹線を利用している。ヘビーユーザーではない。
京都に行くときなどJR東海ツアーや同社の50歳特典などを利用していた。ところが、突然メールですべてなくなるとのこと。EXなるものに移行すると一方的に伝えられた。私はぼんやりと東海ツアーがEXへ移行すると思っていたが、いざ予約となると違うことに気づく。別会社、別のシステム。つまりこれまでの履歴やポイントはなくなるのみということだ。
というわけでEXに登録する作業から始める。ポイントなのはデジタル化して紙媒体の乗車券を発行しないこと。となるとスマホがない人は、と考えるのだが、逃げ道として交通系カードが切符代わりになるというのだ。
登録作業で私と嫁さんのカード番号を登録。これで終了、その後の旅行予約も完了となった。
そしていよいよ当日である。
地元の駅をカードタッチでホームに入る。東京駅の新幹線改札で恐る恐るカードをタッチすると、すんなり扉が開いて指定席の書かれた小さな紙が出てきた。誰もが経験する最初の儀式である。発券や郵送や駅業務などの簡素化なんだろうけど。
座席指定も航空機のようにできるようになった。今回は往復とも進行方向一番前の壁の前の席にした。前方座席の人のリクライニング攻撃をされない席、スーツくんがよく使っている席だ。失敗した。足元が狭い。180以上の私にはつま先が壁に当たってしんどいのである。

そう言えば、飛行機も最近システムが変わった。
以前はネット予約、発券は画像データで送られてくる。スマホでもプリントアウトでもバーコードを提示できればよかった。ところが今回は紙媒体はだめなんだ。発券自体も当日になった。つまり前の日まで切符はないということになる。
実際当日になるとバーコードが表示できるようになった。が、なれた人はいいのだろうけど実際搭乗するときに機械にバーコードを見せるわけだが大抵のスマホの設定は操作なしでは数秒で画面が消えてしまう。なぜか私の前には子連れやお爺さんがもたついていて私の番になったとき画面が消えていて私ももたついてしまった。何でもスマホでできるというのはいいのか悪いのか。
このシステムの刷新はコロナの影響だろうか。極端に客が減った時期を狙ってシステムを更新した。初期不良もあっただろうが、どの新幹線も飛行機もガラガラの時期があったからね。災害もプラスにするのが優れた企業、経営ということだろう。

電気料金

先ほど東電からの電気料金請求のサイトを見ていた。
使用量は前年度と比べて低くなっている。のにもかかわらず料金は1割以上高くなっている。エアコンを使わないこの時期はウクライナ前までは5000円前後だった。が今回は7000円を少し超えている。ウクライナ前からだと4割高くなっている。世界的に見ればこんなものなのかもしれないが、人生で2年で4割高くなるというのは異常ではないのか。いつもいつもここで書いていることだが、原発をフル稼働してくれ。そうでなければ原発賛成反対のアンケートを取って反対派から賛成派が本来より余分に支払っている分を割増して請求して賛成派に分配すべきである。
反対派は福島の再来を恐れていると言っているが、あんな津波は1000年に一度しかやってこない。(厳密には800年程度) あんたが生きている間は大丈夫だよと言っても心配らしい。自分の心配を和らげるためには多少の支出は仕方があるまい。
さらにアンケートを取ればわかるが賛成派が多分9割近くなるだろう。1個10円の野菜に列を作って何時間も待っている人や、バーゲンだのポイント増額だのというと飛びつく人たちも賛成。安いに越したことはないのである。命の心配をするのなら原発より人の命に関わる自転車に家族を乗せないことだ。自転車事故の方が原発事故よりよほど確率が高い。
世間では給与上昇より物価上昇が上回っていると話題になっているが、私等アラカン世代だと給料が上がらないどころか、60でどーんと下げられる。正規雇用のの人は退職金で埋められるだろうが非正規だと退職金はないし理由もなく(60だから)下げられる。
非正規、低賃金、ブラック労働、次年度の継続の保証なしの社会の底辺にいる私達は原発事故より明日の生活が大問題なんだ。せめて、地方税みたいに所得に応じた電気料金にするとか工夫してほしい。
うちは犬を飼っているからと1年中エアコンを使って毎月数万円の電気代を支払う富裕層と同額というのはなんとも。

「富士山×ローソン」問題 黒幕で“無期限封鎖”

「富士山×ローソン」問題 全長20mの黒幕で“無期限封鎖”が示す、オーバーツーリズムの深刻度
というYahooニュース。

実はその富士山のある静岡県方面に旅行をして先ほど帰宅した。
平日なのかいつもなのか新幹線は外人だらけである。今回の私の旅行は乗り鉄天浜線を楽しんだ。流石に外人は少なかったが0ではなかった。

バラエティ番組では、何か面白いものがあると「外国人に教えたい」とか「外国人が喜ぶ」といった観光業よりの発言が目立つ。広い意味では芸能人もバラエティ番組も観光業も同じ穴なんだろうか。
別の富士山ニュースでは定期的に外国人が軽装で登山しようとする、という。どうかしっかり遭難して頂いて二度と日本に来ないことを祈るのみ。ただし、遭難となると地元の人の労力と血税が使われねのはだめだ。せめてヘリや人件費などを本人に支払わせるようにしてもらいたいね。
ようやく富士山はお金を取ったり登山者を規制したりと、何十年も前から言われてきたことを行政が始めたとか。

オーバーツーリズムとは話が違うが、クマがそこら中で出没暴れているというニュース。
クマは害獣なので見たら殺すでいいのではないか。アブラムシと同じである。迷惑な生き物なのである。イノシシも鹿も猿もほぼ同等。迷惑なだけで何もいいことはない。ムクドリもカラスも私にいいことを一つもしてくれない。行政や専門家や某団体はこれらの動物をどうしたいのかね。ディズニーランドみたいに仲良く暮らしたいとでも思っているのか。あそこにいるのは着ぐるみで中に人が入っているのだけど。
迷惑な外国人や生物を「共生」とか綺麗事で片付けるのはもう限界だろうね。
もし何らかの対策をして鳥獣被害が減ったとするなら、それは解決したのではなくてただ鳥獣を減らしただけだろう。つまり殺しているのだ。結論は一緒なんだけどね。

自由でのびのびした小学校は、外部通報で管理教育へ

「よい教育が、押しつけられてできるのか」…自由でのびのびした小学校は、外部通報を機に管理教育へ舵を切った 学習指導要領に少しでも沿わない独自授業は「不適切」なのか
というヤフーニュース。

面白い話だ。これが小学校というのも興味深い。私は高校の講師をしたことがある。それこそ昭和から平成にかけての中高の先生など変わった人が多かった。良くも悪くも専門バカ。ただし、その専門性があるからこそ各教科の指導のレベルを上げることができたのだ。
今はこういう時代なので、極端な先生の話は聞かなくなったが。
ところがである。小学校は専門性がないのである。基本は1人の担任が全教科教えるというのだ。低学年ならまだしも3年生ぐらいになると1人の教員の知識だけでは厳しくなる。ある程度の人生経験でもあれば常識程度でなんとかなるかもだが、20代だときついかもね。
私が小学生だった昭和のころから音楽の先生は専門の人だったような。そのまま図工や理科や体育など専門の先生を増やしていけば問題なかったのに、昭和20年代にできた法律かなにかで「定員」というのが足かせとなって音楽専門の先生のところで60年間止まったままなんだ。その結果が今日良く報道される教員の激務になった。
もう一つがこのニュース。
学習指導要領に従えという話。子どもの個性を見つけて伸ばせという話とは相反する。本に書いてあるように教えろ、というのだからたちが悪い。本来は最小限教えなければならない内容、であるべきが、これがすべてになってしまった。
さらに小学校ならではなのか、ママ友同士の話で「〇組の先生は、〇組の先生は」ということを不平等だといい出したことが大きい。そこで指導力が最低限の教員の技量に合わせて4月1日から3月まで。もしくは入学式から卒業式まで何をどれだけやるべし、と決められてしまった。マニュアル化だ。
この記事に出てきた小学校は奈良市の国立奈良教育大付属小、教員も子どもも最低限ではない。だからこそ余裕のあるところは独自ののびのびで個性を伸ばそうとしたのに、羨んだもんぺが他と違うとクレームを入れたのだろう。
学習指導要領を持ち出されては、、、ということだな。これで世の中良くなるわけがない。

どっかのバカが、教員の残業を減らそうといい出した。働き方改革だという。だが、仕事量を減らすとは言っていない。つまり仕事量はそのままに早く帰ろうというのである。ついでに何万円か給料を上げるという。バカが考えそうなことで残業が減って、教員不足が解消されるわけがない。教員不足はいずれ解消されるかもしれないが、志願者減合格者増でレベルは下がり離職者は増えるだろうね。
これじゃ良くなるわけないよな。

新車の慣らし運転は不要!?

新車の慣らし運転は不要!? メーカーとエンジンチューナーとでどうして見解が食い違うのか。長く乗るならやっておいたほうが無難
というヤフーニュース。

私はこれまで原付バイクで通勤してきた。お陰で最大片道35kmの通勤などもあって数年で寿命、買い替えることになる。さて、新車を買うと決まって「最初のうちはナラシ運転で」と言われる。トラックがビュンビュン走っている片側2車線以上の国道を制限速度で走る勇気があまりない。さらに回転数を抑える、つまり急加速しないということなんだが、高級な原付きだとタコメーターがついている。タコメーターを見ていると非力な原付バイクはつねに8000rpmぐらいである。アクセルをオフにしても基本的に動力はつながったままなので6000rpm程度で減速している。多分ナラシ運転でとは原付バイクなら本来の姿、制限速度で走っていることがナラシ運転なのだろう。
さて、自動車はどうか。私が若かりし頃の昭和、ATに乗る人は珍しかった。MTの場合ナラシ運転はわかりやすい。タコメーターを見ながら最初の1000kmは2500rpm以下でシフトアップなどと徐々に回転数を上げていくというのが新車のルーティンだった。が、ATが主流になるとアクセルの踏み方だけのナラシ運転になった。ところが昭和の終わり制御が入った4ATになると普通に走っていればせいぜい2500rpm以下である。60km/hでは1000ccのエンジンでも2000rpm以下である。普通に走っている限り買ってから売るまでナラシ運転という人が大半だろうね。本来はナラシ運転しなければならないのだが、スポーツモードでサーキットや峠を攻めない限りずっとナラシ運転ということだ。
ナラシ運転の必要性について、機械部分の当たりがつくまで、製造時に残ったバリなどが取れるまで、という論理。
ところが言及されているエンジン部分はそもそもあたりはない。あんなに高速で動くピストンがシリンダーをこすっていたとしたら摩擦熱で数千度になって鉄は溶ける。オイルで浮いた状態になっていて永遠に当たらない。さらにギアなどの金属部品も今どきバリが付いたまま製品にするような工場もない。加工精度は最高水準、今どき最新の静岡県で作られるプラモデルでもバリはほぼないしね。
あたりがつくのはブレーキとタイヤの接地面だろうな。これは確かに実感できる。ただしタイヤが一皮むけるのは交換して工場を出て家に帰るまでの数十分だろう。数百kmも一皮剥けないタイヤのほうが怖い。
ブレーキパッドについてはいくつかの考え方がある。まず、最初の数十kmは確かに効きが悪い。その後に結構強く制動をかけて表面を加熱させてあたりを付ける、という方法があった。ずっとお爺さんのようなブレーキだと変なあたりが付いてキーキーとブレーキ鳴りの原因になると言われたことがある。
ただし今どきキーキーいうクルマを見たことがない。お爺さんやオバハンが乗るクルマでも、である。
ナラシ運転の必要性は機械原因よりも運転者がそのクルマ・バイクに慣れることが主目的のような気がする。