コロナの影響をまともに受けたのは飲食、小売などのサービス業。
ところが我が家はもともとサービス業にあまりお金を落としていない。
サービスとは無くても済む話なのである。
そもそも私はファストフードも含めてほとんど外食をしない。
飲み会もほとんど欠席である。
飲食店に入るということは、目的の食べ物の他にサービスを受けるということだ。
サービスや雰囲気にもお金を払うことになる。
料理を運ぶアルバイトの時給も間接的に支払うわけだ。
低所得の私にはそんな金銭的余裕はない。
電化製品にしても店員から説明を受けるというのはそのぶんのお金を支払う。
アマゾンなどで事足りるしそちらの方が安い。
友人も職場の付き合いも少ないに越したことはない。
その方がお金はかからない。
一人じゃ寂しいと言うのならネットで表面的なやり取りはできる。
定額の通信費だけで済むし。
私の言いたいことは薄々おわかりかとは思うが
私のような生活がアフターコロナなんだろうね。
移動もクルマかバイクだし。
趣味の大半も一人でできること。
職場では他人と接しなければならないが、今回のコロナ騒ぎはそういうクラスターは少ない。
飲食店での宴会や会合、ジムやクルーズ船などサービスへの投資が大きいところが問題。
缶チューハイ1本税込み110円以下の生活をしていればコロナの危険はかなり低い。
しかしながら
私のような性格はマイノリティ。
かなり多くの人が会食や宴会、繁華街、お祭りが大好きなのである。
ディスタンスが近いほど嬉しいのである。
前にもコロナは生物兵器だと書いたことがあったが
世界的に見ても大都市中心に深刻な被害である。
75年前の大戦でも攻撃すると言えば大都市の無差別爆撃だった。
大都市に密集している人間への攻撃は効果があるということだ。
コロナは都市を焼け野原にはしないが経済的な効果は同等かもしれない。
都市から人を消したわけだからね。
アフターコロナとは、先進国の従来の価値観を根底からひっくり返す生活だ。
豊かな生活とは雰囲気で無駄に消費行動をとると同義だったが
これからは雰囲気ではなく価値のあるものだけに直接お金をかける経済になる。
学校だって教室でワイワイ、もしくは怖い先生の授業はおとなしく
なんていう雰囲気はなくなり、一人で画面に向かって勉強するのみ。
忘年会だの歓送迎会だの仲良くない人とワイワイ酒を飲むこともなくなる。
友達だの仲間だの飲み会だの合コンだのを楽しみにしている人には
拷問のような生活がアフターコロナだと思うが。