昭和30年代に入ると戦後復興も軌道に乗り経済も良くなってきた。
都市部、特に東京には人が集まりいよいよ交通網の整備が必要となる。
それまでの木造、準木造車両は桜木町事件から鋼鉄製車両に入れ替わろうとしていたが
戦争を挟んで新型車両の開発は遅れていた。
それがいよいよ30年代にはいると従来のヨゴレが目立たないという理由(?)の茶色い車両に
替わって、カナリア色の明るい通勤電車が登場する。
101系である。
強力なモーターを搭載して駅間の短い都市部で高速運行ができるようになったのだ。
座席を減らして扉を4枚にするなど現在の通勤車両の基礎となった。
101系は実験的な車両でもあったためいろいろな不具合をあぶり出した。
そしてそれほど時間がかからず数年後に103系がデビューして山手線から順次交換されていく。
多くの101系は首都圏幹線では総武線で余生を送ることとなる。
そんな70年代前半、昭和40年代後半に津田沼電車区で撮影したのがこの写真である。
多分非冷房。
隣に総武線複々線化、東京駅地下乗り入れ用のピカピカの1000番台の113系が見える。
ところでマニアの皆さん、これ101系ですよね。