台風


せっかくのお盆の9日の休みをもらった(取らされた)が、その前から体調を崩してしまいただひたすら家の中で生きているだけである。何も生産的な活動をしていない。食う、テレビを見る、寝るの繰り返しである。
ノロノロ台風は気象庁自慢のスーパーコンピューターの予測をビミョーに西に外しながらやってきた。関東地方は適度な降雨があり、カラカラ天気はとりあえず解消できた。ちょっと外に出て洗車でもしようものならとんでもない汗をかくことになる。雨が降ったあと日差しが出てとんでもない蒸し暑さだ。
今年の夏はもういい、早めに秋になってくれないかねえ。
ニュースを見ていると台風のお陰でオーバーツーリズムがだいぶ抑えられている。道路の渋滞も初期の予測の半分程度、交通機関の混乱も明日はあるとの話だが、前日まで動いていて何日も足止めを食らうということはなさそうだ。皆さん早めの決断、行動を取っているようで無事に帰宅できているようだ。

巣ごもり休みを利用して、貯めてあった録画を見ている。毎年この時期にやるNHKの太平洋戦争ドキュメントを何本か見た。海に沈んだ艦船や飛行機の調査、島に残る戦争遺構、昭和天皇への報告文書、が面白かった。新しいアプローチである。
昔読んだ「紺碧の艦隊」を思い出す、大戦のSFである。多くの大戦SF小説は当時の軍部の全否定から始まる。もし優れた軍師がいたら、という発想で話がすすむ。日本軍幹部は兵士を人と思わない、精神論でなんとかなると本気で思っていた、という歴史的証拠がある。資源も兵力も劣っている日本がアメリカに勝つためには、頭を使わなければならないのになあ。最後は和平交渉をソ連に頼りしっぺ返しを食らって抑留者問題まで残すことになる。歴史に「もしも」はないにしてもあまりにもおろかで、戦後の平和教育に軍部や日本兵は出てこない。あまりにもひどすぎて子どもたちに教えられないのである。
というNHKドキュメントを作ってくれないかなあ。戦死した人は「軍神」と神様に奉られているため全否定はできないという制約があるそうだが、だから戦争の悲惨さを伝えられないのである。一番悪いのは戦争を始めようとした軍部である。彼らの多くは何の責任を取ることなく戦死することで有耶無耶にした。彼らの命令で死んでいった人たちの無念を明るみに出したのは戦勝国の一方的な価値観で戦犯を裁いた「東京裁判」だけである。日本人による東京裁判をするべきではないのか。