昭和56年の思い出

昭和56年台風第15号(国際名:Thad / サッド)は、1981年8月に関東地方に上陸し、被害をもたらした台風
24日未明には利根川の水位上昇に伴い、支川小貝川の左岸、利根川合流点からおよそ5 kmの地点で破堤し、茨城県龍ケ崎市利根町河内村などにおいて浸水被害が発生した。長野県須坂市千曲川支川宇原川では土石流が起き10人が死亡し、その下流の鮎川でも堤防が決壊したほか、秋田県八郎潟では漁船の転覆により10人の死者が出るなど、全国で43人の死者・行方不明者を出した。さらに民間航空ではダイヤが乱れ、国鉄線は各所で寸断。東北本線は24時間も不通になったという。また、強風により送電線が故障し、大規模な停電が起きた。
ウィキペディアより

風雨が強まってきた夜に電話。
隣町に住む叔父。「バスが動いていないしタクシーも来ない。駅まで迎えに来てくれないか。」「いいよ、今から行くよ」
我が家の軽自動車で雨の中家を出る。ところが道路の流れが悪くなる、と同時に道路が冠水している。進むに連れて深くなる。市境の川が氾濫していると感じた。
前のクルマがUターンしだしたところで私も行軍をあきらめてUターンして帰宅した。昭和のこの頃、携帯電話なんて存在しない。叔父から電話があれば「行けない」と伝えられるのだけど。電話はかかってこなかった。
翌日、電話で話ができた。叔父は事情はすべてわかっていたようだ。
この頃から平成の初期までが河川の氾濫が台風で起きていた。が、平成に入って河川の工事が本格的に進み、平成中期には氾濫の話はきかなくなった。