ワクチン接種有無、挙手させ謝罪

ちょっと前のニュースである。
ワクチン接種の自由、有無で差別してはいけないという話。
副反応が怖いからなどの理由でワクチンを打たないという人がそれなりにいると言う。それはそれで自由を謳歌してもらえばいい。
しかしである。医療関係にしても接客業にしても教育関係にしても、身近に「ワクチン打たない」という人がいたらそれはそれで恐怖である。自由でも差別でもない。怖いのである。自由だ差別だと声高らかに言う人達にはそれがわかっていない。私のように肥満の人には命に関わる恐怖なのである。近くにいたくないのである。さらに人権だの差別だのと声高らかに言う人はすでに声高らかで飛沫を飛ばしているのである。せめて黙っていてほしいのだけど。
私達はコロナに感染したくないのである。それが人権差別の人たちにはわかっていない。自分たちの主張を繰り返すだけ。
ヘイトスピーチのように何の利害もない外たちを差別するのならそれはいけないと言える。でもね、ワクチンを打とうとしないで人権を掲げている人たちは害がある。自由は認めるけど私の近くには来ないでほしい、公共の場所にも行かないでほしい。
自分の身を守ろうとすることは差別ではない、と考えている。
哲学や法学の入り口、海に浮かぶ一枚の板切れに二人の遭難者という話である。

数年前だが、ボランティアで小学生の算数教室の仕事をした。このときに子供の身を守るという話になった。私は180cm以上100kg以上の男、木の棒一本あれば暴漢から子どもたちを守れる、と言うと偉い人から「相手が刃物を持っていたとしてもあなたが棒でボコボコにすると過剰防衛になる」と言われた。自分の身、子どもたちを守るというのも難しいことを知った。
とはいえ、もしそんな状況になれば暴漢をボコボコにしてしまうだろうけど。(笑)
刃物を持って弱い子供や女性に危害を加えようなんてするやつは心も体も弱っちいに違いない。か弱い私に頭や手足の骨を何本も折られるのは仕方がないことだ。