庶民感覚

今日のニュースは舛添一色である。
ひどいやつだという論調は置いといて私なりに考えてみた。
報道によると、知事選では庶民感覚を前面に押し出していたそうで。
彼の行動は政治家、公務員としては不適切であったが
ある意味、庶民感覚であったには間違いない。
私のようなサラリーマンには関係ないが、事業主が
領収書を集めて経費で落とすというのはよく聞く話だ。
さらに、サラリーマンであっても交際費とかで飲み代を会社に経費を請求するという。
それを経費で落とせるなら羨ましい。
私は先日、片道70キロの距離の出張で有料道路代も事務方に蹴っ飛ばされた。
これが実は庶民感覚なんだよなあ。
給料以外のカネで、ファーストクラスや衣食住を落とせるなんて夢のようだ。
舛添は庶民感覚でやり遂げたわけで。
庶民感覚とは「セコイ」のである。
スーパーの売り出し時間にたかだか10円安い卵のために並ぶのが庶民感覚だ。
さらに、
舛添の都知事になってからの映像を幾つか紹介されていたが
ほとんどがにこやかで低姿勢な感じである。
実るほど頭を垂れる稲穂かな、という感じである。
偉くなっても低姿勢なのが印象が良いというのも庶民感覚だな。
庶民は自分に関係ない不倫や不正でも記者会見で頭を下げられるとすっきりするようだ。
庶民感覚とはクレーマー感覚なんだろうね。
そうしておけば文句を言われない、という行動が庶民感覚なんだろう。
つまり、庶民感覚とは貧乏でクレーマーということだな。
そう考えると、庶民とは小さい頃はいじめっこ、
今風ならツイッターやラインで他人を批判する。
大人になればそういう性格なんでたいした仕事にもつけず貧困を味わう。
それを全て他人のせいにする、という感じだろうか。
なんだか自分の事を書いているようで虚しくなってきた。
多分、私が舛添と同じ立場になればほぼ同じ行動をとったかもしれない。