下弦である
明け方4時におしっこに起きたのだがすぐに寝てしまった。朝起きたときはすでにこんな感じだった。それでも今日はいつもの休日よりは早起き7時30分に起きたのだけど。月は南中を過ぎていた。
能登地震1ヶ月ということで、TV全局キャスターを現地入りさせて、すでにわかっていることを訴えていた。地元の住民たちは「役所がモタモタしている」「支援が来ない」「水道がなくて不便だ」と訴えている。被災したのだから当然の意見なんだけど、天災を他人のせいにしようとするのも良くない。
活断層がある。群発地震が起きている。数年前にも大きな地震があった。などなど関東に住んでいる私らより地震に対する警戒感や経験値は高いはずなのに、結局ライフラインがなくなったと嘆いている。行政も含めてこの数年、何をしていたのか。
自治体はハザードマップなどの災害対策をしなければならない。石川県の災害対策の資料をニュースでやっていた。大した地震は発生しない、という被害想定だった。
南海地震の想定では四国の南側と紀伊半島で震度7、20mの津波が四国近畿を襲うというSF映画のような想定、3.11が800年ぶりの大地震だったということから想定は1000年に一度の大地震に書き換えられた。3.11以降「死なない」がテーマとなってやたら大げさな想定が普通になったが、死なないということはその後生きるということだ。実は自治体の災害想定は生き残って3日分らしい。その後の水や電気は業者がやってくれということ。
ライフラインが切れれば、なるようにしかならない、自衛隊に頼むしかない、という想定なんだ。
結局学校の体育館で、床が硬いとか、よく眠れないとか、衛生環境が心配とか、災害の多い日本で数年おきに見せられる光景になる。それをマスコミは面白がって伝えている。気が引けるらしくで「〇〇さん募金」とかいって、適当に金集めをしてお茶を濁す。