ブラック校則改定

テレビニュースやヤフーニュースに度々紹介されるブラック校則、ブラックというよりは変な校則といったほうがいいかな。
〇〇の自由を振りかざすバカマスコミはこういうネタが大好きでそれに煽られた匿名のネットの住人が騒いでいる。
大人になって「こんな変な校則あったよなあ」と誰もが1つ2つはすぐに思い浮かぶ。私事だが昭和の時代の私の母校は丸坊主が校則だった。私が就職する頃には廃止されたけどね。嫌だったけど。
変な校則は大人になって考えると嫌だったけど体制に影響なし。そもそも学校が子供にマイナスになることをやるわけもない。問題があると思われていた丸坊主やブルマもいつのまにか消えものである。みんなで騒がなくても勝手に自然淘汰されることも多い。変な校則を取り沙汰するなら変な法律をもっと考えたほうがいいだろう。運転免許更新とか車検制度なんて必要のない最たるものだろう。時代が変わっても性能や品質が変わっても利権は変わらない。
もう一つの問題は、理由にジェンダー〇〇をすぐに持ち出すことだ。何十人に一人の話を拡大解釈して1人のために残りの何十人がつきあわされるのはいかがなものか。
ワイドナショーでもブルマは体の線が出るから恥ずかしいと盛り上がっていた。が、オリンピックや国内の陸上大会をみると水着のような選手が大半である。
つまりどんなことにも価値観はかならず2つ以上あって一方の意見が正しいということはない。ただし会社や学校のように団体で行動する機関ではどうしても1つに統一する必要に迫られるわけで。バカマスコミが言うように何でも自由にしたら、逆に大人になって不利益になって不自由な人が増える気がする。
例えばである。災害派遣に出動した自衛隊員、服装や行動を自由にしたら多くの人命を助けられなかっただろう。規律の厳しい団体行動ができる人が人を助けられるのだ。
会社や学校で「私は〇〇レスです」「私は〇〇教会です」「私は環境〇〇です」とそれぞれが主張したら、体力のない順に社員や教員が病気休職して潰れちゃうだろうね。

かくいう私はどちらかと言えば自由を主張するタイプだった。当然大人になって大いに不利益を被った。