東京で感染者5000人

1000万人の5000人である。
割り算すると0.05%。
1%が100人に1人であるから0.1%が1000人に1人0.05%は2000人に1人となる。
ところがこれは1日あたり、10日なら200人に1人、100日なら20人に1人となる。
学校なら1学期で1クラスに2人、1学年6クラスとすれば1つの学校で1学期に36人感染したことになる。
1つの学校で36人出たとなれば新聞に出るだろう。
これが関東の全ての学校で起こりうるというのが今日のデータなんだな。
金メダルを知らない誰かがとっただの誰かがかじっただのと言っている場合ではないということだね。
ワイドショーで誰かが「五輪はやりたがっていたがパラには興味ないのでは」というコメントがあった。私が以前から言っていたとおり、五輪はやりたいがパラはやりたくない、というのが現実味を増してきた。

政府や行政のトップの人達は感染者0を目指すのではなく重症化をなくすという方向になっている。実際老人にワクチンが行き渡ると死者が極端に減っている。つまりコロナとの共生に入ったと考えている。
ところがである。コロナはインフルや水痘・帯状疱疹ウイルスとはちょっと違う。中等症でも肺炎になるわけで。肺炎は基本的に完治しない。肺炎の経験がある人がX線やCTで検査すると肺炎あとと見られる影が出るそうだ。昭和の終わりに死んだ私の伯母は定期的に肺のX線検査をしていたが、昔の肺炎のあとだと肺がんを見落とされて50代の若さで死んでしまった。肺炎を甘く見てはいけないのである。
今でもいろいろな病気で入院して死亡する老人も直接の原因は肺炎が多い。今の時代でも誤嚥性肺炎を始めとして肺炎は死の病なのである。コロナは20代から肺炎を引き起こす、致死率は高くないにしても怖い病気なんだな。専門家はその程度の医学的常識をテレビでコメントすべきではないのか。総理の会見はひどいものだ、二言目には「安全安心」という。コロナに安全も安心もないのだよ。

ここは一つ、臓器提供意思表示カードのように、「私は命が惜しいです」か「私はいつ死んでもいいです」のカードをクビからぶら下げて歩くのはどうだろうか。
マスクを外してワイワイやる人には「死んでもいいカード」をかけてもらう。「命が惜しいカード」の人はその人達には近づかないようにできる。こうすれば感染経路もわかりやすくなるだろうに。