山陽新幹線事故、異音報告せず 台車亀裂の教訓どこに

山陽新幹線事故>運転士、異音報告せず 台車亀裂の教訓どこに “ダイヤ至上主義”指摘する声も
というニュース。
JR西日本の会見もあった。
ポイントを整理してみた。
その1 運転士
どうもマスコミの論調はなぜ危険を察知できなかったか
ということになる。
異音ということだが、270キロで走るという運動エネルギーを理解していない。
カブトムシやバッタがガラスにぶつかってもそれなりの異音がするはずだ。
ノーズの先っちょに人間がぶつかったくらいではカブトムシがガラスにぶつかるのと大差ない。
運転席からノーズは見えないわけで、破損もわからないわけで。
どうやらマスコミは新幹線の運転をフィットやアクアの運転と同じだと思っているようだ。
その2 一番悪い人
JR西日本はけしからんという論調なんだが
一番悪いのは、線路に侵入して自殺した人だろう。
そもそも新幹線は線路を歩いている人を想定していない。
水平な直線であっても270キロから停止するまでに数キロは走ってしまう。
空気がクリアで静止している状況でも運転席から2キロ先の人や犬や猫を確認するのはきつい。
秒速90m近い速度で走っている状況ではもっときつい。
たとえ気づいて警笛を鳴らしてブレーキを掛けたとしても犬猫なら逃げられるかもしれないが。
わざわざ飛び込んでくる人間を避けることは不可能だ。
それを運転士が悪いとするには無理がある。
その3 安全運行
関東で電車通勤している人ならわかると思うが
鉄道の運転見合わせの大半が自殺事故なんだな。
中央線、総武線は特に多いという。
そのたびに満員の駅で長いこと待たされて、ギュウギュウの電車に乗ることになる。
体調が悪いときなど特にこたえる。
こう言っては悪いが、自殺死体は終電のあとに片付けることにして
とりあえず電車を動かせよ、と言いたくなる。
安全運行は自殺者のためにあるのではなく、利用者のためにあると思う。
記事のフロントラインにある“ダイヤ至上主義”指摘する声とは誰の声なのか。
鉄道にしても航空機にしても日本の正確さは世界のトップである。
“ダイヤ至上主義”でどこが悪い。
“ダイヤ至上主義”と安全運行は相反する事象ではない。
安全運行が正確運行なのである。
話が戻って
当該新幹線車両はすれ違った運転士の報告から次の新下関で臨時停車した。
これが安全運行である。
強いて言えば、小倉の駅員が気づくべきだが。
いちいち小動物がぶつかるたびに臨時停車、超過密の東海道新幹線のダイヤを乱すことを
誰も望んではいない。