嵐、24はノーギャラ

先ほどのニュースでこんな記事が紹介された。
チャリティ番組で多額のギャラというところに引っかかる人も多かろう。
ジャニーズのように偶像だけで仕事をしている人にとってはこういうネタはマイナス。
損して得取れ。
ノーギャラと発表することになった。
マスコミが査察に入るわけでもないし、発表だけなら実際はどうであれ問題なし。
そもそも、こんな発表をすること自体にあのチャリティ番組の不自然さがある。
嵐クラスの芸能人でも、こんな番組は嫌だ、と拒否する権利はない。
チャリティかどうかは関係なく受けた仕事をこなすしか無いのだ。
それを私のような人たちが『偽善だ』と騒ぐもので迷惑している。
そもそもテレビは99%が『偽』である。
全て人の手で作られたものなのだ。
それを真に受けて募金箱に金を入れるというのは真偽の区別がつかない人。
募金も大事だが本気で役に立ちたいとおもうなら日テレの番組ではなく
自分で施設なり被災地に行ってボランティアをすべき。
それがめんどくさいからと、手近な募金箱に金を入れて『いいコトした』と思うのは
日テレと同じくらいの偽善だ。苦労も努力もなしに善はないだろう。
ただし、受け取る側はまた違う。
障害者も被災者も『とりあえず金をくれ』と言うだろう。
そういう意味では、日テレの偽善は役に立っている。
とりあえず金だけを集めているわけだから。
金を受け取る人たちにとっては嵐がギャラをいくらもらおうが、すでにどうでもいいことだ。