老人の日

先日のニュースでかわいい女子アナが「老人の日」と言った。
敬老の日を言い間違えたのか、と思っていたが。
そもそも敬老の日を老人の日と言い間違えるものか??と素朴な疑問。
調べてみたら私が無知だった。
敬老の日と老人の日は両方存在するそうで。
なぜ2つもあるのかといえば、まあよくある縄張り争いみたいな話だそうで。
経緯はみなさんも調べてみてください。
さて、そのニュースというのが100歳のおじいさんの取材。
長寿の秘訣は、などなどお約束の流れなんだけど画面が不自然なんだな。
よくよく見たらどうも老人ホームのようだ。
家族からは間接的に見放され、見知らぬ人に衣食住の世話になって
自由な外出や旅行もできない、実質的な財産もすでにない。
そんなおじいさんが100歳で本当におめでたいのだろうか。
しかしながら、幸せの定義はひとそれぞれ。
狭い自宅で家族にしぶしぶ面倒をみてもらうよりも
ホームで若い介護士にニコニコ面倒みてもらうほうがよほど幸せかもしれないね。
今となっては老人に死ぬ自由はない。
病気でない限り生き続けるのである。
いずれ自分も老人と呼ばれるようになる。
他人事ではない。
翌日の違うニュースではやはり100歳のおじいさん。
今度は床の間の前で娘だか孫だかとインタビューに答えていた。
家族と平和に暮らしているというテイ。
老人ホームよりはマシな絵ヅラだった。
しかしながら、私には子供がいない。
順当に嫁さんも老化すればどちらかは孤独死だな。
我が家の老後に幸せの文字はすでにない。
老人の日、敬老の日はそういうことを考える良い機会である。