敬老

私の世代はじいちゃんばあちゃんは絶対の存在だった。
ただし、孫にはとても優しかった。
私は孫の中でも一番可愛がってもらったかもしれない。
大学生になって二人のばあちゃんを軽自動車に乗せてよくドライブをした。
「こんなところに初めてきたよ。」などととても喜んでくれたっけ。
明治生まれのじいちゃんばあちゃんも私が20代の頃にみんな死んでしまった。
私の結婚をすごく楽しみにしていたのだけど、結婚式に来てもらうことはできなかった。
なんていう思い出話ではない。
敬老の日とはどんな日なのだろうか。
私のように大好きなじいちゃんばあちゃんに対してはこの日だけ敬老ということはない。
いつも敬老である。
かと言って、見ず知らずのジジババに敬老というのもしっくりこない。
ましてこの時代である。
年寄りは私達の血税社会保険料を当然の権利とばかりに食いつぶしている。
そして、間違いなくかなり近い将来私もこの仲間に入る。
私のような貧乏でひねくれた老人を敬う人などいやしない。
長生きがおめでたいなどというのは20世紀までの幻想。
老人施設に行けばわかる。
長生きして幸せなんていう雰囲気はまったくない。
当事者も施設で働いている人も全員そう思っている。
その上、痴呆老人がアクセル全開でアチラコチラに飛び込んで事件を起こしている。
長生きしたら金一封、みたいな敬老の日というのは現状にはそぐわない。
今さら変えたり廃止したりできないだろうけどね。
運がいいことに、私は身体のあちこちにガンのもとがあるようだ。
毎年、カメラやCTなどで検査をしてそこそこの薬を飲んで生命を維持している。
したがって、そこそこの年齢で病死すると予測される。
それほど社会や家族にご迷惑をかけずにすみそうだ。