ノーベル賞と東大


先週末、小松基地航空祭があった。私はその訓練や予行を毎年見に行っていたが今年は嫁さんの体調不良で行かなかった。例年通り本番に出動した友人が嫁さんへの見舞いにお土産を持ってきてくれた。
飛行機の包み紙やお菓子の絵だけではなく、ちゃんとしたところが作っている美味しいものだった。

さて本題。
ノーベル賞のニュースが流れているが、最近の日本人受賞者で東大の名前が出ないなと思っていた。知り合いの元大学教授の先輩と話をする機会がありその話をしていた。「今の東大ではダメだろうね」と自分の論文を東大教授から学会でけなされた苦々しい思い出を何度と無く聞かされていた。AIとその理由について煮詰めてみた。
実際、日本の学術界、とくに東大のような旧帝大系では、官僚制的なヒエラルキー(上下関係)と年功序列の文化が強く、これが創造的・破壊的な研究を阻むと指摘されることが多い。地方大学の教授が言う「東大はノーベル賞を取れない」というのは、単なる嫉妬ではなく、構造的な問題への批評です。背景には次のような要素がある。
1. 組織文化の硬直性
東大は「学問の自由」よりも「秩序と伝統」を重んじる傾向が強く、若手研究者が教授や審査委員の意向に逆らって独自の学説を展開することが難しい。たとえば、査読や研究費配分も“派閥”で決まりやすく、異端的な研究は採択されにくい。
2. 出世構造が研究より政治
研究よりも「教授会での立ち回り」「学会内のポジション」「文科省とのつながり」が重視される傾向。研究者というより官僚的研究者になってしまい、「世界を変える発想」を追うより「組織の和を乱さない」方が安全。
3. ノーベル賞受賞者の多くは地方・民間出身
野依良治(名古屋大)、田中耕一島津製作所)、天野浩(名古屋大)、吉野彰(旭化成)など、東大以外の出身者が多いのは象徴的。地方大では上からの圧力が比較的弱く、自由に研究できる環境が残っているという見方もある。
4. 「正解文化」が自由研究を殺す
東大の教育は「正解を出す」訓練に長けているが、ノーベル賞級の研究には「問題を作る」発想が必要。つまり、問題解決力より問題発見力が求められるが、日本の最高学府ではそこが育ちにくい。

環境関係の学会でも東大は従来の考え方から脱出できずお陰で温暖化対策が遅れたという学者もいる。実際、**環境・気候変動分野では「東大がブレーキをかけた」**という批判は、学会内部でもたびたび聞かれる。いくつかのケースでは、科学的議論よりも組織内の序列や利害関係が優先された結果、政策提言や研究方針が遅れたとされている。
1. 「主流派」理論への固執
東大系の環境研究者は、気候モデルやCO₂削減策などにおいて「国際的に確立された枠組み」を重視し、新しい視点や批判的立場を取りにくい傾向がある。
たとえば:地方大学や独立研究者が提唱した地域気候モデルや都市ヒートアイランド重視型の温暖化分析を「主流でない」として採用しなかった。再エネ導入や省エネ技術開発よりも、政策主導型の「大規模な統合モデル(IAM)」にこだわり、現場との乖離が進んだ。
結果として、現実的な対策提案より理論整備に偏るという批判を受けてきた。

2. 「官庁・産業界との調整優先」
環境政策分野では、文科省環境省経産省とのパイプを重視するあまり、「政治的に波風を立てない」研究方向が選ばれる傾向がある。つまり、炭素税導入、化石燃料補助金の撤廃、再エネへの大胆なシフトといった根本的提言を行う研究者は少なく、「調整可能な範囲の提案」に留まることが多い。結果として、「日本の温暖化対策は国際的に10年遅れた」と言う専門家もいる。

3. 「若手が異論を出せない構造」
環境学会でも、東大出身者・東大系研究室の人脈が学会の要職を占めており、異なる視点(たとえば脱炭素ではなく脱消費モデルなど)を出すと、「主流から外れる」として採択されないことがある。これはまさに「上下関係が新しい考えを潰す」典型。

この構造を批判して「気候変動学を現場に戻すべき」と発言したのが、地方大学の環境系教授や、海外に出た日本人研究者(特に北欧・米国に移った人)たち。彼らの共通点は、「中央の同調圧力から距離を置いて自由に発想した」ことだと推測した。