台風7


嵐の前の静けさ、雨は降ったりやんだりしているが今のところ静かである。
中心が東京より東にそれているので、風については瞬間20m/sはふくだろうが30m/s以下なら被害は限定的。雨については水に弱い地域は仕方がない。
午後には940hpaまで発達するそうで、私の予測より被害が大きくなるのではと心配している。とにかく何事もなく通過してくれるのを願うのみ。

今の科学的な気象学は実は歴史は浅い。大戦中に開発されたレーダーが戦後気象にも応用された。それまでは各地の観測所の気圧と風向を参考に気象庁の人が手書きで天気図を書いていた。ラジオでは各地の観測データを読み上げる放送があって、マニアは自分で等圧線を書いていた。今でも中高には等圧線を書くための黒板がある。
大戦中、気象情報は軍事機密で一般には公表されなかった。お陰で台風などの気象災害を国民はまともに受けることになる。戦後には台風接近などの報道はなされたが気象データから台風の位置を特定して進行方向を特定するのは難しかった。そんな時代、山口百恵が生まれた頃、伊勢湾台風が襲って5000人以上の死者を出した。それ以外にも洞爺丸台風狩野川台風と1950年代に1000人以上の死者を出す大型台風が頻発。そこで持ち上がったのが富士山頂にレーダーを建設するというプロジェクト。伊勢湾台風でついに政府が認可した。後はプロジェクトXなどで見ていただきたい。
お陰で台風の位置をリアルタイムで認知できるようになり、正確な予報で死者数はレーダー運用以降死者数は200人を超えなくなっていった。その後気象衛星の運用が始まり第2世代の運用から第3世代になるところで富士山レーダーの運用が終わることとなった。

ちなみにネットで昭和3大台風と調べると、室戸台風枕崎台風伊勢湾台風となっている。室戸と枕崎は戦前戦中だったため正確な死者数などはわかっていないのではないか。何の情報もなくいきなり大型台風の直撃にあった当時の人達の気持ちはいかばかりか。
窓の外はすごい雨になった。