2011年も今日のように晴れてはいたけど寒い日だった。
鉄道も道路も行政施設も全て2011年以前よりも立派になった。それなのに『復興』という言葉を振りかざしている人たちは何が欲しい、必要なのだろうか。
慣れ親しんだ土地を追われたり、家族を失うという悲劇は想像を絶するが、復興予算で解決できる問題ではない。
あの日の関東地方、東京圏は震度4から5弱の揺れだった。部分的な被害はあったものの生活できない程ではない。それでも交通インフラは一時的にマヒして、さらにしばらくは買い占めなどで流通やガソリンが影響を受けた。
と、書いたところでやめた。
実は私の中で3.11を消し去りたいという深層心理があるのだと思う。当日の混乱から放射線の土まで、何一つ良いことはなかった。マスコミだけは人の不幸は蜜の味とばかりに何年経っても似たような番組を作り続けている。
そしてその役割ができていないと痛感したのが能登地震である。津波避難は人的被害なしでできたと言われているが、数mの津波であった。避難所やライフラインについては10年前とほとんど変わらない。規模が小さいだけだった。
私達は自然災害にいかに無力だ、ということだ。