映像の世紀、田中角栄

待ちに待った『田中角栄』である。当時は小学生だった。
子供の頃は長期政権だった佐藤栄作が総理大臣だとずっと思っていたが、突然田中角栄の名前が出てきた。子供の頃はその人となりなどわかるはずもなく、ところが中学生時代にロッキード事件、高校生くらいの頃に逮捕という激動の時代だった。思春期の私は逆に田中角栄が気になり惹かれていったのだった。
「尊敬する偉人は」の質問に「田中角栄」と答えるようになった。両親は恥ずかしいからやめろと言っていたっけ。彼は大正生まれ、昭和史そのものの生き方、考え方をした人である。彼にも戦争体験はあったのだろうが、生家は新潟の山村、戦地で大変な思いをしたわけでもないそうだ。そして戦後の復興にうまく乗っかると同時に汗水たらした。政界進出、吉田茂に認められたところがラッキーでもあるし才能でもあった。
道路族として頭角を表し、郵政大臣でテレビと関わる。大蔵大臣で国の予算をいかに使うべきか、行き過ぎのところも大いにあるが、ガソリン税や教科書無償化を決めた。
最後はオイルショック不況で経済停滞、支持率15%を切って総理大臣を辞職した。
彼が打ち立てた「日本列島改造論」は荒唐無稽と言われたのだが、80年代には新幹線、高速道路、長大橋やトンネルと実は実現したのである。
オイルショックロッキード事件にダブルで足元をすくわれたが天才であることには変わりない。好き嫌いがはっきりしていることも歴史的評価が良くないのも天才の宿命である。
私が彼を評価しているのは、汚い金に手を付けたということだがそれで私服を肥やして贅沢三昧していたわけではない。政治にカネがかかるというのを立証してしまったのは良くないが、贅沢や権力に執着したわけではない。死後すぐに目白御殿は分割売却されてしまった。彼はいつも未来を見ていた。悪い未来も含めてになってしまったが。