阿蘇山が中規模の噴火をしたというニュース。
昼間だったため、豪快な映像を見ることができた。
噴火は単発的だったようでマスコミはすぐにトーンダウン、コロナも収まっているのでこちらもトーンダウン、仕方なくあまり興味がない選挙報道をずっと見ることになる。
議員や首長を選ぶのは大切な権利だが、たとえ政権がひっくり返ったとしても私達の生活にそれほど影響があるわけでもない。官僚や公務員たちは誰がどこの議員になろうとも毎日きっちり仕事をしていてマイクで「私に投票しろ」と叫んだりはしていない。
さらに民主主義は主義主張が適度に薄められてしまい、誰が当選しても体制に影響ないようになっている。映像の世紀を見ていると1930年代に「民主主義では国家は停滞したままだ」と一人のヒーローに独裁政権を、となっていったのである。一時的には秀吉もヒトラーもムソリーニもスターリンも毛沢東も一気に経済成長させるわけだが、せいぜい10年くらいの有効期間、さらに自分に反対するものを次々に拘束処刑というのが独裁政権の歴史的な流れである。
日本はどうかと言うと民主主義で平和である。その代償として私達平民は長いこと給料は上がらず生活はより豊かにはならない。これを失政という人は多いがたくさんの人が普通に生活していてどんどん豊かになるわけがないのである。もし、あるとすればその分誰かが貧乏になっているはず。
江戸時代200年の天下泰平が続いたわけだが、その裏側には農民も商人も大衆もそれほど豊かではなかったところにポイントがある。
私が生まれた頃、幼かった昭和40年前後、父は上場一部の企業戦士だったが我が家はどちらかといえば中流以下、母も仕事に出て、私が思春期になりかけた頃ようやく公団の団地の1室をマイホームとして購入した。公務員や一流企業でこの程度の時代を高度成長と呼んでいたわけで。
実は今ぐらいの経済状況が天下泰平なのである。
話が大幅にそれた。
阿蘇山は単発的な噴火だったが火砕流も発生したという。阿蘇山は古い火山である。あの広大なカルデラを見てもわかるように大規模な火山である。阿蘇の火砕流のあと、地層は北九州から宮崎県に及んでいる。その上、現在でも噴火活動が続いているわけで。周辺にお土産物屋などは存在するが大規模噴火が起きたとしても人的被害は最小限だろうと予測している。
阿蘇の人たちはそれほどバカではないのである。火山と共存しているのである。
登山者にも被害が出なかったのには驚いている。まさに火山と生きている地域なんだろう。モウモウと煙を上げる雄大な阿蘇山を近くで見たいものである。