10年前の今日、2万人近くの命が奪われた。
職場でも館内放送が流れて「黙祷しろ」という。
帰宅してテレビをつけると民放はメインキャスターが現地入りしている。
メインキャスターが現地から生放送というのが民放の本気度のバロメーターか。
現地から伝えることといえば、語りべみたいな人が出てきて話をする。
するとキャスターが「どんな気持ちですか」と聞くわけだ。
この不毛なやり取りと黙祷の強制が、なんか歪めてしまっているのだよね。
歪んでいると感じているのは私だけか。
次に
義援金、寄付金を今さら集めているという広告。
震災直後は確かに多くのお金が必要だったのはわかる。
10年経って必要な寄付とは何か。
というのも、例の復興税と特別予算でこの10年で何兆円というとんでもない血税が東北に注ぎ込まれている。さらに世界から集めた寄付金の総額も1兆円以上であろう。
そのお金はどこへ行ったのか。
1兆円を被災者50万人に分けたとすれば一人20万円。
10兆円なら200万円である。
被災者全員が一文無しの無職というなら足りないけど。
何度もここで書いているが、被災者の住居よりも土地の嵩上げや堤防に随分使われているようだ。
火事場泥棒のように震災を飯の種にしている人がいるということだ。テレビ局もすべてが悪いとは言わないが飯の種にしている。
もう一つ
あの万里の長城のような防潮堤は本当に必要なのか。
津波に対する防災は必要なのはわかっているが。
10mの防潮堤でも15mの津波は防げない。
15mでも津波が20mなら防げない。
20mなら800年に一度の津波は防げるかもしれないが街は壁に囲まれた刑務所のようだ。
海が見えない街を作ることが本当の防災なのかな。
北風がどんなに強く風を吹いてもコートを脱がすことはできない。
そんな童話を読んでいるかのようだ。