囲碁打って死にたい 末期がん押して予選突破、翌日逝く

死とは悲しいものだ。
また、無念なものである。
一部の自殺志願は別として、誰だって死にたくはない。
しかしながら運命は神のみぞ知る訳で。
軽井沢のバス事故のように若くして突如の死は無念だったに違いない。
事故や病気で突然死ぬというのは本人も周囲も辛い。
私の伯母が言っていたが、ガンで死ぬのは良いという。
末期がんなら長くても数年で死ぬ。
つまり死ぬ準備ができるということ。
さらに長くても数年であれば、家族への負担も最小限である。
痴呆で部屋を汚物で汚すこともない。
死ぬまで自分の好きなことができるというのは良いことなのだ。
長生きだけが幸せじゃないことは、近所の老人ホームに行けばすぐにわかる。
もう一つ
先日伯父が死んだ。
大正15年生まれ。
数カ月前に最後に会った時は痩せこけて人相が変わっていた。
それでも甥っ子をかわいがってくれた良いおじさんは健在。
居間の座椅子に座ったまま、眠るように死んでいたそうだ。
70すぎまで技術職の仕事を続けて
誰にも迷惑をかけず、病院の世話にもならず
痛みや苦しみもなく、90過ぎて自宅で死んだというのは大往生である。
長生きするなら伯父さんのように生きたい。