戦争反対

国会と国会前ではいろいろ騒ぎが起きているそうだ。
戦争反対、憲法9条を守れ、だそうだ。
自民党与党が戦争突入の法案を出すとも思えないのだが
世間ではそういう認識のようである。
さて、このまま政治的な意見をココに書くというのも無粋だな。
先日のゴールデンタイム、BSFUJIを見ていたら、石原慎太郎堺屋太一が言いたい放題。
その中で安保法案にフラれると、堺屋太一が饒舌になり
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国会議事堂前で起きている「反安保法案デモ」は「60年代大学紛争」に似ている。
その騒乱は政治的イデオロギーによるということよりも「流行」に近かった。
そしてその参加者は「暇」だからやっていたのである。「デモでもやってみようか」という軽いノリの。
当時堺屋は警察や関係各所の人々と、この騒乱はいつ終わるだろうかということを話し合っていた。
その時に彼は、「大阪万博」が終われば自然に終わると明言していたと。
彼らの大半はイデオロギーで動いていたのではなく単純に「興味があったから」というだけであり、他に興味が移れば自然消滅すると思っていたからであると。
そして、実際そうなった。「大阪万博」を過ぎると共に、「大学紛争」で明け暮れた人々は次第に沈静化し消滅し、
イデオロギーで残った左派の先鋭達はやがて「よど号」事件や「浅間山荘」事件などの凶悪な事件を引き起こすが、全国的に政治騒乱は終わったと。
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確かに平日に国会前に行って時間をつぶすなど、まともな勤め人には不可能なんだよね。
一見、純粋な気持ちで政治参加しようとしていると思えるが
そう言われると、全く無意味な烏合の衆に見えてくる。
試しに、レポーターが質問してみるといい。
「何に反対しているのですか」
強行採決絶対反対」
「何の強行採決ですか」
戦争法案絶対反対」
戦争法案の何が反対なのですか」
「戦争は嫌だから反対」
多分、かなりの人たちが何に対しての反対なのかわかっていないだろう。
イデオロギーというよりは、ああして何か正当らしいことにエネルギーを使いたいのだろうな。
戦争反対という暇つぶしか。
法案とは別に『宣戦布告』1998年麻生幾著を読むか、同名映画を見て欲しい。
70年前の戦争は日本が引き起こしたものだから、戦後に今の法制になったわけで
70年経った今は明らかに実情に合わないことがわかる。
40年前の学生運動ののりで騒ぐというのは郷愁、懐古趣味にしか見えないのは私だけか。