山崎豊子は大好きな作家である。
全てを読んだ、というだけでなく全てをコレクションしたいと思っている。
それもハードカバーでね。
というマニアのためなのか先日Nスペで放送された。
生で見てからも録画を何度も見なおしている。
山崎作品の良さを語れば止まらなくなるのだけど
今回は違う見方をしてみた。
彼女の代表作、出世作となったのが不毛地帯である。
主人公のモデルになる人が何人かいて、数百時間の取材をしていたという。
その日付が昭和48年とある。
昭和20年で終戦、しばらくは混沌とした時代なわけだが
昭和30年には朝鮮戦争による特需で経済は持ちなおし経済成長期に入る。
そして、この時期に東京五輪が決まり、大阪万博が決まり、催行されたわけで。
特に、五輪から万博までの数年間の日本はひたすらお祭り騒ぎ。
安保闘争や学生運動もある意味お祭り騒ぎであった。
山崎豊子はこの時期の日本を繁栄ではなく頽廃と切り捨てている。
この頃から取材のため、元軍人、シベリア抑留者の取材をしていたわけで。
戦後25年、まだ多くの元軍幹部が生きていた。
戦争責任をどうこうなどと大きなことは言わないが
お祭り騒ぎに浮かれていて、東京裁判で戦争のことをスカッと忘れようとした日本人。
この時期に何の検証もないまま、今さら「戦争の悲惨さ」「戦争反対」と訴えるのはなんとも。
歴史的な記録があるだけで、実際の検証を怠っていた。
結局、戦争の悲惨さを伝えるもの、作品としては
「火垂るの墓」「永遠の0」「はだしのゲン」「ガラスのうさぎ(ちょっとマイナーかな)」「私は貝になりたい」などなど
一般の人がどれだけ悲惨な思いをしたかに限られている。
何度も書くが、日本人は昭和40年代の時期に検証を怠っていた。
山崎豊子の偉大さはそこにある。