津波の想定

想定内という言葉が流行ったりした。
そして、今回は笑い話にならない津波の想定である。
各地の原発で再始動にむけて動き出した。
ポイントは当然地震津波である。
三陸のある街では津波に対する備えとして海岸線に高さ10mの防潮堤を作った。
これをこえる津波など想定外だったのか。
今回の大震災ではこの街でも大被害を被った。
それでは千年に一度の津波を想定して20mの高さの壁を作ればいいのか。
確かに莫大なお金を使って作れば千年に一度の津波から街を守れる。
しかしながら20mの壁の中ではまるで刑務所のようである。
想定を上げていけば守りは良くなる。
しかしながら、当然コストがかさみある一定のラインで収支が見合わなくなる。
これはまちの防災でも原発でも同じこと。
人間は大きな自然災害に対する有効な効率のよい手立てなど持ち合わせていない。
今回の震災でも無力感を味わったばかりだ。
基本的に逃げるしかないのである。
残念ながらこれが一番有効な手段である。
ウォーターフロントという言葉がもてはやされているが、私が土地を選んでいるとき
「低地と水の近くはだめだ」と進言された。
たとえ小さな小川でも溢れたら家を失い命に関わると言われた。
水辺というのは癒されるのだがリスクも大きいということ。
やむなく住むのであれば逃げ道を用意しなければならないということ。
逃げられなければ命に関わるのだ。
老人だとか子供だからと災害は容赦してくれないことを改めて知った。
福島第一原発でも5mの津波の想定が悪いのでなく、
5mを超えたときの逃げ道を用意しなかったことが悪い。
結果、重い責任から逃げられなくなった。