自由でのびのびした小学校は、外部通報で管理教育へ

「よい教育が、押しつけられてできるのか」…自由でのびのびした小学校は、外部通報を機に管理教育へ舵を切った 学習指導要領に少しでも沿わない独自授業は「不適切」なのか
というヤフーニュース。

面白い話だ。これが小学校というのも興味深い。私は高校の講師をしたことがある。それこそ昭和から平成にかけての中高の先生など変わった人が多かった。良くも悪くも専門バカ。ただし、その専門性があるからこそ各教科の指導のレベルを上げることができたのだ。
今はこういう時代なので、極端な先生の話は聞かなくなったが。
ところがである。小学校は専門性がないのである。基本は1人の担任が全教科教えるというのだ。低学年ならまだしも3年生ぐらいになると1人の教員の知識だけでは厳しくなる。ある程度の人生経験でもあれば常識程度でなんとかなるかもだが、20代だときついかもね。
私が小学生だった昭和のころから音楽の先生は専門の人だったような。そのまま図工や理科や体育など専門の先生を増やしていけば問題なかったのに、昭和20年代にできた法律かなにかで「定員」というのが足かせとなって音楽専門の先生のところで60年間止まったままなんだ。その結果が今日良く報道される教員の激務になった。
もう一つがこのニュース。
学習指導要領に従えという話。子どもの個性を見つけて伸ばせという話とは相反する。本に書いてあるように教えろ、というのだからたちが悪い。本来は最小限教えなければならない内容、であるべきが、これがすべてになってしまった。
さらに小学校ならではなのか、ママ友同士の話で「〇組の先生は、〇組の先生は」ということを不平等だといい出したことが大きい。そこで指導力が最低限の教員の技量に合わせて4月1日から3月まで。もしくは入学式から卒業式まで何をどれだけやるべし、と決められてしまった。マニュアル化だ。
この記事に出てきた小学校は奈良市の国立奈良教育大付属小、教員も子どもも最低限ではない。だからこそ余裕のあるところは独自ののびのびで個性を伸ばそうとしたのに、羨んだもんぺが他と違うとクレームを入れたのだろう。
学習指導要領を持ち出されては、、、ということだな。これで世の中良くなるわけがない。

どっかのバカが、教員の残業を減らそうといい出した。働き方改革だという。だが、仕事量を減らすとは言っていない。つまり仕事量はそのままに早く帰ろうというのである。ついでに何万円か給料を上げるという。バカが考えそうなことで残業が減って、教員不足が解消されるわけがない。教員不足はいずれ解消されるかもしれないが、志願者減合格者増でレベルは下がり離職者は増えるだろうね。
これじゃ良くなるわけないよな。