「つるし上げ」に 熊本知事謝罪

環境相環境省職員が懇談後に被害者側から「事実上つるし上げ」に遭っていたと述べた。直後に不適切な発言だったと謝罪して訂正した。「被害者側が非常に厳しい怒りを込めて叱責されていたことを言いたかった」と釈明した。
というヤフーニュース。

昨日ここで書いたことはそのままの意味で多くの人に伝わっていたと推測した。
一方の人が怒りや不満をぶちまけて一方の人はマイクの音量さえいじってはいけない。という不平等。「意見を聞く」というのと「不平不満を聞く」というのは全く違うことだ。60年前のもう死んだ人たちの失策失敗の責任をとって激しい怒りを込めた不平不満を聞くというのである。今回のようにちょっとでも落ち度があればこうしてマスコミが飛びついて大騒ぎである。全く持って嫌な仕事だな。店員にしても教員にしても相談窓口業務にしても〇〇ハラを相手に精神を病む仕事だ。
世間やマスコミのこういう対応がカスハラやモンペを生んでいる。
さらに問題なのは、その激しい怒りを持って喋った人たちにもなんの利益も及ばない。自分たちは苦しい思いをした、という感情しか残らない。強いて言えばあれだけ文句を言えば缶コーヒー一杯分程度の一息程度にはなったかもしれない。が、家族をなくしたり何十年も病気と戦ってきた人たちには、意味はない。
と思っていたが、環境省に文句を聞く専門部署ができると発表があった。これで3分と言わず10分でも1時間でも役人に文句が言えるようになったことは一歩前進か。
私は逆の意見で「被害者たちの文句を真摯に承っています」という口実ができてしまい実は話は進まなくなるのでは。その部署に配属された役人は「3年我慢すれば出世できる」と言われたか、何か失敗して左遷されてきたか、もしくは再雇用1年契約で何でもやりますの人、のどれかだな。