「人権意識が強くなりすぎると、番組がつまらなく…」フジテレビ番組審議会が物議を醸した“ズレ感”
というヤフーニュース。
人権意識というと拒否感を持つ業界の人達の意見、人権の専門家の審議会ではないと強く批判をしている論調だ。
NHK映像の世紀をみると人権問題が数多く取り上げせれている。とても大切な感覚なんだと思うわけだが。それは社会的な差別、暴力、貧困という強いメッセージがある。
ところが、昨今テレビなどで言われている人権問題は「気分が悪い」とか「バカにされている気がした」など個人の感情を「人権問題」と大声を出す人が人権問題に鳴っている気がする。妻を「嫁」といえば人権問題と騒ぐ。これでは本来の人種や信条による社会的差別と個人の感情がごちゃまぜだ。言葉や価値観を個人の感情むき出しで「人権問題」とすることには私もニュースの意見に賛同。クレーマーの温床になりつつある。
先日4Kでオンエアした2013年のローリングストーンズのライブを見た。すでにミック・ジャガーはシワシワのおっさんだが、ストーンズのサウンドは健在だった。
ビートルズやクイーンのように世の中をひっくり返すような新しい音楽というわけではないと思うが、彼らがロックの進化の中心にいたことは音楽を聴くとわかる。60年代終わりから70年代はいい時代だったのである。アンコールの「サティスファクション」は、後にトヨタセリカのCMで使われて、私ら世代にも知られることとなる。