戦艦「大和」に対する抜け落ちている評価 〝無用の長物〟〝時代遅れ〟物知り顔で嘲笑する人士

戦艦「大和」に対する抜け落ちている評価 〝無用の長物〟〝時代遅れ〟物知り顔で嘲笑する人士が理解していないこと
戦艦「大和」の建造が始まったのは、1937(同12)年11月のことで、その頃はどの国もが、強力な戦艦を建造することにしのぎを削っていたのである。つまり世界はいわゆる大鑑巨砲主義の真っただ中にあったのだ。
よく考えていただきたい。戦艦「大和」が起工された1937年に、4年後の航空機時代の到来を予測できるだろうか。
戦艦「大和」の就役は1941(同16)年12月16日で、真珠湾攻撃の8日後だった。「大和」の登場を得意げに批判する論の多くは、「大和」の就役が、航空機時代到来が証明された海戦の後だったことをもって「大和」を〝時代遅れ〟だのと物知り顔で嘲笑しているのだ。
戦後、マンモスタンカー造船技術は、まさにこうした「大和」をはじめ日本の高い軍艦建造実績が基礎になっていたのである。
というヤフーニュース。

1937年当時、山本五十六はすでに航空兵力の有用性に気づいていた。さらに航空母艦のテストも1922年には始まっていた。ところが軍の中枢には日露戦争で勝ったという成功体験をした人たちが陣取っていて、近未来の戦争の形を思い浮かべられる頭脳などなかった。戦争での成功体験は人間をダメにしてしまう。マッカーサー朝鮮戦争で原爆を使うべきと言って更迭された。
映画でも取り上げられていたが、大和建造時に本当に戦争で使えるのかという疑問はあったそうだ。ところができてみるとあの美しい戦艦は多くの軍人の心をつかみ士気を高める、はずだった。ところが大和は極秘で製造されその姿を見た人も少ないという。そして多くに書かれているようにほとんど実戦での成績がないまま沖縄特攻で沈むことになる。
結果論として無駄な兵器だったことになる。後に呉の造船工廠の製造技術や管理システムなどは日本が造船大国になる礎を、とあるが、それは後付の論理で大和の評価とはちょっと違う。

大和は長大で美しい。多分、当時の軍関係者はあのデカくて美しい戦艦を見たかったのだろうな。航空機や潜水艦の時代がもう少し遅れていれば世界最強の軍艦として君臨できたのだろう。
三菱零戦だってできた頃は無敵の戦闘機と言われていたが、太平洋戦争中期には時代遅れと言われ始めていた。
今日のニュースで『オスプレイの製造終了』、いつの時代でもこういうものは栄枯盛衰なのである。