原爆と幼児2人車内で死亡


広島の原爆記念日だった。
相変わらず脳みそが70年前のままの国の人が核兵器の使用を公言している。人間はそう簡単に変われないのである。私の意見としては日本人の全ての22歳以下の人に広島か長崎の原爆資料館に行くことを義務付けることを立法化してほしい。すでに77年が過ぎて経験者とは言っても5歳とか7歳とかの記憶で正確に状況を伝える語り部としては限界、かと言って伝え聞いた人たちが語り部というのもちょっと違う気がする。沖縄で沖縄戦の話を聞く会に参加したが、とても上手に話すどう見ても直接見聞きした年齢ではない語り部語り部というよりはナレーターか役者である。つまり仕事としての語り部という意味合いが強い。すでにアナログ音声での悲惨さを伝えるのには限界に達した。資料館を活用して今後の教育に活かすべし。

厚木での子供2人が自動車内で熱中症で死亡
当初、通報した母親は公園の駐車場で窓を開けて休んでいたと供述。当然その程度で人間が死に至る訳はない。逮捕後には知人宅それも男性、で1時間楽しんでいる間車内に放置していたという。クルマに戻って車内の惨状を見て公園に行ってから119したという。母親の年齢は21歳、私の経験から言えば21歳の学生時代、サークルでワイワイやったり女の子とデートしたりちょっとは勉強したりという時代。2人の赤ちゃん幼児の面倒を毎日見続けるなんてとても考えられなかった。し、この犯人の21歳の母親も同様だったようだ。
さらにこの事件を深刻にしたのは、3週間前に寒川町で同様の放置事件を起こして警察と「もうしません」というやり取りをしたとか。児相にも連絡した。
この手の女に(男もだが)牢屋に入るまで改善するつもりなどないのである。何度もやるのだ。牢屋に入れば子育てから開放されてせいせいするのかもしれない。そんな親から子供を救い出すのが児相の役割なんだけど、彼らが思い通りに働ける法律も人員も予算もないのが現状だ。

子育ては時代に合わない
少子化対策として政府はいろいろ手立てを考えて予算もつけている。しかしながら、そのどれもが経済的援助と子供を預かりますという援助。誰かに面倒を見てもらえなければ子育ては立ち行かなくなる。女性の社会進出が当たり前になっているが、出産するとなると妊娠がわかってから出産近くなるまで行動に制限ができて仕事に支障が出る。臨月近くから1年間は社会進出していないのである。さらにその後も仕事と子育てとの両立で大変な思いをする。多くは子供への愛情と成長を見守ることで精神的な負担は相殺されるが。会社でいくら働き方改革しても子育て世代はもともとオーバーワークなのである。だからと保育園や学童保育の充実は親の子育ての量を減らしているだけ。つまり子育て放棄なんだよね。子育ての負担は子供を持つ以上当然のことなんだけど、大変だから肩代わりしましょうという逆行とも思える流れ。その流れを悪く理解したのが今回のような事件を起こす母親であり、学校に文句ばかり言ってくるモンスターなんだよな。自分が満足にできないもので他人任せ、他人のせいにするわけだ。
母親は父親にはない産みの苦しみを経験し、子育ては男女同権とはいいつつも母親に多く負担が行く。女性の社会進出をすすめつつ少子化対策とは予算をつければなんとかなるというものでもない。時代に合わない「母親はどうあるべきか」という議論になってしまう。