旧統一教会報道の“空白の30年”

自作銃器による襲撃事件はおもいもよらぬ方向に広がっている。
当初は凶器と犯人であった。が、犯人も凶器もすぐに捕まり押収、単独犯で動機は逆恨み、凶器はネットで方法とパーツを取り寄せたというありきたりのものだった。防犯上これ以上の情報公開はないだろう。散弾銃とのことだったが私は当初「グレネードランチャー風」と推測した。あの発射音は一般的な銃ではなく擲弾(てきだん)を打ち出すような音だった。私の推測は半分当たり、口径が大きくカートリッジもそれなりの大きさだが散弾は8個と大粒のものが使用されたそうだ。殺傷能力は高い。周囲の人に流れ弾があたっていないことから散弾はそれほど広がらず指向性が高かった。カートリッジにある程度の強度がありハンドガンに比べれば多い火薬量であったがしっかり発射できていた。ただの鉄パイプのバレルでは強度や精度が足りないが、見てわかる通り擲弾を装填し直す必要はなく1回限りの使用なので問題ない。これが実戦などで多弾数を扱うようになると熱問題で使い物にならない。

話がそれた。動機は単なる逆恨み、誰でも良かったに近い感じなのだが、端々に出てくる統一教会の文字にマスコミが食いついた。叩けば埃が出る有名な宗教団体、早速叩かれる。
30年前といえばバブリーな時代だった。あの頃はこういうバブリーな新興宗教が大いに盛り上がった時期である。本来の宗教は戦争や災害で心の拠り所を求めた民衆を取り込むものだった。また、平安時代などは政府が伝染病まん延を仏教を使っておさめようとして民衆の支持を勝ち取った。東大寺薬師寺などは代表例だ。
しかしながらバブルの頃の新興宗教乱立はちょっと意味合いは違うが、浮かれた世の中にいても不幸や孤独に耐えきれず心の拠り所を求めた人が多かったことを表している。オームもその際左翼である。
弱った人間の心を操るのは容易いらしい、数千万という金額をホイホイ入金させていたと言うではないか。さらにそんなことがまかり通っていた事実をマスコミは見て見ぬふりをしてきたということか。そもそもが新興宗教の人たちは一般常識や一般の感情が欠如しているわけで、変にかかわるとろくなことはない。そもそも被害者がいないのである。お金をむしり取られた人は搾取
されたとは思っていないわけで。オームも批判する一般人に手を出したのが問題の始まりだった。
推測だが信者にもメリットが有る。まず、物欲だ。例の霊感商法、それなりに見栄えがいい置物や壺が送られてくる。「鑑定団」の登場人物と同じで価値があるものを手に入れたという満足感は大きい。まして、幸せになれるという保証までついているわけで。
次に性欲を満たせる。なんと結婚相手を見つけてくれるのである。世の中の不祥事の大半は性欲に起因しているわけで。それを教団がナントカしてくれるというのは素晴らしい。
さらに親族が死亡したときも当然教団が祭事の方法に則り葬式を取り仕切ってくれる。これもなれない家族にはかなり心強い。
大金をむしり取っている手前、信者の金銭トラブルについてもそれなりに援助しているだろう。借金取りを撃退するなどのマニュアルがあるに違いない。信者はありがたいとまたお金を渡すのであろう。心配事がなくなるほど価値のあることはないからね。
きれいな商売だろうが汚い商売だろうがお金を沢山稼ぐのにはアイディアと努力の積み重ねは必要だということだ。私のような低所得者は脳みそと努力がだいぶ足りないということだ。