お袋のたけのこ

ネットの若者はなぜかきれいな言葉を使いたがる。そして、特定の人を汚い言葉で攻撃したがる。
私は「いいね」を増やすために無駄な努力はしない。友達を増やそうとも思っていない。ブログは自分に対する公的な記録であって多数の人に認められるためのスペースではないと思っている。
たとえ経済的や社会的に弱い人達であってもおかしいことはおかしいと言いたい。
逆に中身もないのに「元気を出そう」とか「頑張ろう」などとうわべだけのきれいな文も書かないようにしている。
災害の被災者やウクライナの難民を助けるための手立てを考えたり多少の行動をしたことはあるが、自腹を切ってまで助けようとは思っていない。「助けてほしいのは私の方」だとつねづね思っている。

前置きが長くなったのは、これからきれいごとだけ書くつもりだからだ。歯が浮くような内容になっている。
昨日の夜、80過ぎのお袋から電話、明日日曜日に実家に来いという。近所からたけのこをもらって煮炊きしたのでくれると言う。しばらく両親の顔を見ていなかったので、午前中に行くことにする。
日曜日の今日の午前、実家に行くと病気で伏せている妹(叔母)のところにもたけのこを持っていきたいという。たけのことお袋を乗せて叔母の家へ。叔母夫婦は私が生まれたときからずっとかわいがってもらっていた恩人でもある。叔父も叔母も玄関から出てくると「ああ、○○ちゃん」と私を呼ぶ。小さい頃から60年近く優しさは全く変わっていない。何年もご無沙汰していた事を恥じたのである。
お袋が私にくれた袋の中にはたけのこを煮たものとたけのこご飯が入っていた。煮たものは少し味付けが濃い目、ご飯も水分量が多めで少しネチャネチャしていたが、美味しかった。お袋には思春期からずいぶん逆らってひどい言葉を言ったり、バイクで怪我をして心配させたり、まあ悪い息子だった。が、文句を言いつつもこうして無償の愛でかわいがってくれる。
お袋や叔父叔母からこれだけ可愛がられた私は幸せものである。
さらに、
午後に新卒最初の職場のときの2つ上の先輩が我が家に来た。クルマの調子を見てほしいという。
この先輩は結婚式の司会をしてくれたり、今の仕事に私を引っ張ってくれたり、人生を支えてくれた人だ。新しい職場でつらい思いをしていると愚痴ったら、わざわざ来てくれてかなり有意義な助言をしてもらった。私はこの先輩にせいぜいクルマのちょっとした整備をするくらいしかお礼ができない。

私のような中途半端な能無しが長年仕事をしたり偉そうに文章を書いていられるのも、こうした助けがあるからこそ。お金も地位も名誉もないのだけど幸せな部類になるのだろう。

逆に、今の職場ではみんながみんな「私はできる人です」「私は有能です」なんだよね。私は地位は底辺だけど年齢は所長より年上。なのに毎日年下に「やり方がわかりません」「失敗してすみません」とひたすら頭を下げている。プライドもへったくれもないのだけど、毎日すみませんばかりでクタクタなんだけど、もしかしたら「私はできる人です」と仕事をしている社員より気楽でいい立場なのかもしれない。ちゃんと救う神あり、なんだろうね。