3.11に思うこと

確定申告をした。税金の計算の項目に『復興特別法人税』という項目がある。所得をしている人からくまなくむしり取っている本来なくても良い税金である。もう10年経っているこの特別税の芳醇な札束の山で道路族建設族という議員さんたちは我が世の春を謳歌している。テレビで被災地の今という映像を見ればわかる。人口や人流物流にふさわしくない豪華な道路が見られる。ピカピカの港湾施設、新しい宅地、科学的に不必要と思われる豪華な防潮堤、コンクリートアスファルトで覆われた被災地が続くのである。地震津波は別に都会に住む私達のせいではない。私達がコンクリートの費用を払うのは、それも強制的に、なんとも理解ができない。
さらにJR線の復旧もままならないのに、今までなかった縦貫道が開通というのも納得していない。道路が流されたのは海岸線の一部である。それが復興の名のもとに自動車専用道路みたいな工事は誰のためのものなのか。

津波の映像は流すの流さないとテレビでは小出しである。それを見ると思い出すから嫌だという被災地の一部の人の意見だそうだ。そのくせ、「忘れないで欲しい」というのは虫が良すぎる、わがままである。あの津波の映像は後世に伝えるべき貴重な遺産である。次の災害のときにどれだけの人命をすくえるか。一部の被災者の感情でそれを封印するというのは今後の防災面からも、先程書いた復興予算の使いみちについても世論の同意を得られないだろう。金は欲しいけど思い出したくないという勝手な理論に引っ張られている。
見たくないのなら見なければいい。津波の映像をバッチリ流します、と前置きして3.11の検証番組を作るべきなんだ。多くの命を奪ったあの津波の映像を封印してはいけない。50年後100年後に次の世代の命を守るためにより多くの人に見てもらうべきではないのか。ドロドロの街から死体を探す映像を流し続けるべきなんだ。次の世代の人にあんな悲惨な経験をさせないためにも。