コロナ死者数

命は永遠ではない。年を取ればいつかは死ぬのである。
火の鳥の血を飲めば不老不死という話もあるが、結局誰も飲んではいないのである。(原作はどうかはしらないが)
つまり不老不死は幻想であり、そんなことはありえないというのが今の科学である。
死を悲しむのは悪いことではないしそれが普通と思うのだが、老人の死を捻じ曲げて報道する、政局に利用するのはいかがなものか。
弱っている老人は、風邪を引いたただけで死んでしまうこともある。手術は成功しても術後肺炎で死んでしまうこともある。餅を喉につまらせて死んでしまうこともある。
ましてインフルやコロナのようにそこそこの高熱やきつい症状が出るのであれば死んでしまっても仕方がない。
ところが数字だけの死者数は明日も会社で元気よく働ける人と明日にも死にそうな人と同等に発表する。老人しか死なない病気は普通の病気なのではないか。
特に日本人は死を尊厳化しすぎて、自殺者まですべていい人だったとする傾向がある。そんなにいい人が多くの人に迷惑をかける死に方を選択するのか。
死者のうち老人が9割以上となったところで、残念ながらインフルと同等の病気と判断することになる。もちろん感染力が強く、重病化しやすいということで対策不要とは言わないが。

基本的にマスクをしている状況での接触は濃厚接触に当たらないそうである。
家庭内以外で濃厚接触の可能性を疑われるというのは、どういうやつなのだろうか。
そもそも家族にそういうやつがいると言うだけでアウトのような気がする。危ないやつには近づかないというのが最大の防御だ。
家庭内感染の被害者たちはそんな家族がいるということを再認識して今後の生き方を考える良い機会だろう。コロナを家庭に持つこむような人に大した年収はない。縁を切るのに良いタイミングである。