まず、批判をしている人はとりあえずテレビを見ていた人だ。
実はネットではどこかで見た批判コメントを鵜呑みにして批判を書き込む輩が多すぎる。性格の悪い人とSNSの悪いところが融合してしまう悪い例だ。ネットでの誹謗中傷を書き込む人、あおり運転を繰り返す人、賽銭泥棒をする人に共通するのは悪いことをしているという意識がないことだ。つまり子供の頃から社会性が欠如しているということだ。それは子供の頃に親や先生から悪さをしたときに「バカヤロー」とこっぴどく叱られた経験がないのだろうね。
話がそれた。
大田を批判するのはある意味間違っている。そもそもが言わされているのである。失礼なことを言うキャラとしてギャラを貰うのである。もし、他局の元アナみたいな人たちと同じような番組進行をしたって誰も見てくれないだろう。
さらにである。大田はそもそもが多動症、もしくは自閉症という心の病がある。実は病気と学力や各種才能とは関係ない。彼なりに努力してよいパートナーと寄り添って今の爆問がある。そういうことを言う人、言わされる人ということが理解できない人がなぜ横並びの番組の中で大田を見ていたのか、私にはそちらが理解できない。
大田を批判するのはある意味正しい。
彼はそういうギャラでTBSに採用されたわけで、それにこたえなければならないし、今後の仕事も来なくなるわけで。批判が多い殺到しているというのはそれだけ見てもらったということ、話題になったこと。必ず「TBSの」と入るわけで横並びの特番から頭一つ出たことになる。犯罪ではない限り批判殺到はテレビ局にはいい話なのかもしれない。当選人を批判することは選挙区民を批判することだという論調だったが、それもおかしい。得票率が有権者の7割8割だと言うならそれはそれで「確かになあ」と言えるが投票率が60%程度で得票率が6割とすれば有権者の36%の支持ということになる。過半数の有権者は批判されたともバカにされたとも思っていない。
いつもここで書いていることだが、20時からの開票、開票率0%で当選確実がじゃんじゃん出ている。のなら、そもそも選挙という国家的な活動が必要だったのか。テレビ局の調査能力に依存すれば何百億の選挙資金が他のことにもっと有効に使えるのではないか。