連休と浦安

浦安の古地図

仏の連休が終わりである。
年末年始の9連休は良かったが、その反動で今週の勤務は辛かった。
なんとか乗り切っての3連休であった。
年末に買いだめしたものや実家からもらった食材を消費する日々が続いている。
したがって、この連休でもスーパーでの食材調達はなし。
よくよく考えたら、この3日間一円も使っていない。
自動車屋さんでコーヒーを飲んだぐらいの外出。
年末に買い物や旅行をしてしまったので、こんなかんじでバランスをとっている。
もう一つ
先ほど浦安市の成人式のネタを書いたが、古い浦安というのがキーワード。
何人の方からコメントをもらって、ネットで調べてみた。
ある人のコメントの中でポータルサイトのgoo、で古地図が見られるという。
早速アクセスしてみる。
昭和40年代に埋め立てが始まる直前の航空写真。
天皇家の行徳の宮内庁新浜鴨場という沼地があるが地図で見るとこのへんが海岸線。
そこから行徳高校、浦安中学、消防署、市役所に続く運河、その暗渠(あんきょ)らしき道が
昭和中期までの海岸線。
『「段差道路」をご存じかな。車道の上下線の高さが違う不思議な道路だが、ここが元町地区と中町地区の境界、つまり元々陸地だったところと海との境界だ。』
というコメントがある。
この道が浦安市役所から東海大浦安、見明川と旧江戸川の分岐点まで続く。
見明川と旧江戸川にはさまれた現在の舞浜地区は通称「大三角」と呼ばれた大きな三角州だった。
ここがバブルの頃にディズニーランドになるわけだ。
当時は歩けば砂にズブズブと足がめり込む浅瀬だった。
もう一つ
昭和50年代に湾岸道路近辺の埋め立てが終わり新浦安、舞浜ディズニーランドの開発が始まっている。
その後、平成になる頃に現在の新浦安より海側の高層マンションが並ぶ地区の埋め立て。
その境目となる海岸線のあとが見られる。
浦安の古地図2

写真の左上が湾岸道路浦安IC
その下に平行して右上から伸びているのが京葉線新浦安駅が左側、
その下にちょっと広い道路が平行して右上から伸びている。
この道路の北側は一列に木が植えられているが、近くで見ると一段高くなっている。
これが昭和後期の海岸線、防潮堤の後である。
3.11ではこの昭和の埋立地液状化が問題となった。
埋め立て前の戦後から昭和中期の海岸線、
昭和終わりの海岸線、
現在の海岸線と辿って行くと面白い。
どちらの旧海岸線もディズニーランドからクルマで10分程度である。
ディズニーランドでヘラヘラしているだけではなくちょいとドライブしてみると面白い。
最後は現在の海岸線で海を眺める。
幕張新都心、ゲートブリッジ、遠くに羽田空港も見える。
デートには悪くないコースだ。