命の大切さ、戦争の悲惨さ

昨日の朝日新聞天声人語より
「命の大切さ、戦争の悲惨さ」という言葉は便利なだけに
手垢にまみれてもはや中身が空っぽの感が強い。
と、記載したところクレームが来ると思いきや賛同の意見を多くもらったとのこと。
新聞でも関連記事の最後にこのフレーズを使って一丁上がり。
書き手の考えも、読み手の考えも深まっていないと断罪している。
さすが天下の朝日新聞天声人語
他誌ではせめきれないキビシイインコースをついている。
教育現場でも校長先生が生徒に向かって「命の大切さ」を訴える。
TVでも事件がある度に同様の言葉を連呼するが朝日新聞の記載のとおりである。
戦争の悲惨さは私も体験したわけではない。
両親は子供の頃に苦労したことをよく話すが、私には今ひとつ実感はない。
多くの書籍を読み、多くの映像、資料館などでの知識の積み重ねによって
ようやくおぼろげながら悲惨さを感じたに過ぎない。
多くの大人達は子供達にたいして口先だけで伝えようとし
学校でも本来、広島や長崎に連れていくべきなのに、
ディズニーやユニバーサルでお茶をにごすだけだ。
「命の大切さ、戦争の悲惨さ」を本気で次の世代に伝えようとしていないように見える。
第一、これだけ人が集まる東京に「命の大切さ、戦争の悲惨さ」を伝える機関がない。
(江東区東京大空襲の小さな資料館があるらしいが
http://www.tokyo-sensai.net/)
日本全体としては平和主義を基本として戦争をしない政治であるが
最近のニュースをいくつか見るだけでも多くの人が殺し合い、傷つけ合っている。
敗戦国だからと被害者意識の上での活字だけの教育がこんな殺伐とした社会を形成している。
今となっては50歳代の大人まで「命の大切さ、戦争の悲惨さ」を教え込まなければならない。
何度も言うようだが活字や口先だけで「命の大切さ、戦争の悲惨さ」は伝わらないのだ。
最後に
かつて破滅への道を踏み出した日米開戦の日に思う。