181系あさま


1966年横軽対策を施された181系がデビューしている。
64年に東京オリンピック、新幹線開業により東海道を走っていた
151系、161系が181系として地方に転出した。
関東では交流区間がない中央、上信越区間に配属される。
特に信越線は横軽のEF63との運転対策が必要だった。
だからあさまだけは「俺は特別だ」というちょっと偉そうに見えた。
ところがこの世代の横軽は協調運転でなく無動力運転で63に押してもらうだけ。
従って8両規制があり食堂車がはずされてその点ではちょっと貧弱。
私が幼少の頃は信越線は上野駅地下ホームから出た記憶があるが
いつの頃からか2階ホームに引っ越した。
なんだか通勤電車に乗るようで興ざめした思い出がある。
大好きだったボンネットも75年から189系がデビューして消えものになっていく。
189系は横軽協調になったため12両編成だったが食堂車は無かったと記憶している。
まあ、信越線に乗る人は食事はだるま弁当か釜飯を食うべきだが。
この写真が撮影された74年は189系デビューの直前であり
この小諸駅でも12両化に備えてホームの延長工事をしている。
98年新幹線開業で3両編成しか止まらなくなるとはだけが想像しただろうか。