京都オーバーツーリズムゴミ問題

オーバーツーリズムによるごみ問題、というヤフーニュース。
内容は読まなくても表題だけでおおかた見当がつく。人が増えて、ものが売れればその分ゴミが増えるというのは当たり前のこと。お菓子でも飲み物でもたくさん売ってそのゴミは京都で捨てるな、というのは乱暴な話だ。
以前にPAのゴミ箱に家庭ごみを捨てる人がいる、とニュースになった。ゴミを処理するPAや公団にとっては迷惑な話だが、旅行するのにゴミ出しできずに数日家をあけるわけにはいかないという旅行者の事情もある。100km走るのに3000円徴収する世界で最も高額な有料道路である。トラック一杯のゴミは不法投棄だがレジ袋ひとつ分くらいは許してあげてもよかろう、と思ってしまう。お金を取るだけ取ってあとはマナーというのも少し身勝手な感じがする。
気体のゴミである二酸化炭素、燃費を良くして排出量を減らそうとしていたらガソリンスタンドが次々になくなっている。地方に行くと顕著だよね。同じ理由でゴミを本気で減らそうとすれば、ものを買わないということ。そうすれば観光業小売業は立ち行かなくなる。だから消費経済を支えるためにゴミを減らそうとは言わないのだ。同じように経済のエネルギーの源の電気についても。行政指導で減らすどころか消費量は増えているのだ。高層ビルや商業施設を作ればその床面積のぶんだけ電気消費量は増える。おかげで円安で燃料が高騰しているのに大手電力会社は最高益だそうだ。原子炉がメルトダウンしようが原発を止めてそのぶん火力にたよって二酸化炭素が増えようが最高益なのである。
何度もここで書いているが、外国人がいくら増えようとも私等には何も利益がない。その莫大な富は私等ではないどこかに集中している。外国人にすぐにごみになるものを売って利益を上げている人たちはごみ問題とは思っていない。
コロナ禍で大変な事になった飲食業観光業について「水商売をやっている以上、儲かることも大損することもある、安定を望むなら公務員になれ」とここで書いた。景気が悪いときは税金からの補助金を受取り儲かっているときはゴミの始末もしないようでは理解は得られない。
注、私はゴミのポイ捨てを養護していません。