電力逼迫

電力が足りなくなるそうである。3.11以降何度となく言われてきた話だ。
そもそもの発端は3.11での原発不信。原発は悪だとすべて止めてしまった。原発反対の人たちにはスカッとしただろうけど、あんたたちの気分爽快のために日本は二酸化炭素排出大国に復活し、さらに電力不足の脅威にさらされている。超法規的に原発を動かすのが最大の防御なんだけど自民党も腰が引けている。
熱海の土石流災害で話題となった太陽光発電施設。全国にメガソーラーが広まったわけだが、こちらも今となっては減少傾向。原発が止まっていろいろな意味で逼迫した電力会社がソーラー発電に対する高価買取をやめてしまった。そもそもがこの高価買取ありきでソーラー発電は業者も家庭用も広がったわけで。実はこれも原発ありきの政策だった。
日本経済を支えてきた電力エネルギーは3.11で支えきれなくなった。それでも火力でナントカと食いつないできたけど、さらに電気を使う機械や施設やビルをどんどん増やしているわけで。火力発電フル稼働でなんとかなるとうわ言を言い続けてきたがそんな臨時的な方策が長く続くわけがない。足りなくなるのは自明の理。何を今さら、という感じだ。

さらに、ウクライナ問題などでますます発電が難しくなってきている。
その状況で電気自動車普及というのが面白い。走行中に二酸化炭素排出しないというもっともらしい宣伝なんだけど。電気自動車を走らせるためにはコンセントから充電が必要。今の問題は自動車がどう走るかではなく電気をどう調達するかである。電力が足りないのに電気自動車が走るわけもない。いまの社会情勢からすれば石油枯渇でエンジンの自動車が動けなくなり、同時に火力発電の電力で動く電気自動車も動けなくなる。
そう考えると1960年代のモータリゼーション、1970年代のオイルショックから自動車の性能は上がったが取り巻く環境は旧態依然ということだ。
水素を使った燃料電池も水素の生産には石油やガスが必要、電気も燃料が必要、となれば夢の低公害車は絵に描いた餅だ。次世代に来るのは農作物や藻類から発酵などで得られるアルコール燃料が有力になると考える。ただし、農作物が原料というのはいずれ来る食糧難でアウトになる可能性も高い。ここらへんで万策尽きる。人類が生き残るためにはエネルギー消費を極端に抑え込むしかない。そんな時代が私が老化で死ぬ頃には訪れるだろう。
カーマニアは今のうちにツインターボなどのエンジンを満喫すべき。いずれ来る植物由来のアルコール燃料の時代には排気量は50ccから800cc、最高速度は60km/h程度が標準的なクルマの性能になる。ヒトラーがポルシェにビートルを作らせた以前の時代に戻るのである。