開会式での片翼飛行機表現「まったく不適切」

江川紹子氏が24日、ツイッターを更新。東京パラリンピック開会式の演出に「障害がある人の無限の可能性を表すのに、片翼の飛行機で喩える、という表現がまったく不適切だと思います」
というヤフーニュース。

このコロナ禍で過去最高の参加者などと浮ついているテレビ。
バッハが来日で会長が吠えるとか、世の中悪い方向にしか向かっていない。
さて本題、そのパラ開会式、ニュースでダイジェストでみたのだけど私も強い違和感。
片方の翼がない飛行機という設定、翼のない飛行機は飛ばない。
戦争の映像で攻撃されて片方の翼が壊れてくるくると落ちていく飛行機を何度か見た。
片方の翼がない飛行機など存在しないし、それは死と同義である。
演出は何に例えたかったのか理解に苦しむ。
飛行機を愛する私には不快でしかなかった。
空を飛ぶことがない飛行機と障害者は同じものということか。
あの演出のように、翼がない飛行機を無理やり飛ばしたとすれば、例えば崖から落とすとかジャンプ台に向かって加速するとか、一瞬空中を飛ぶかもしれないが乗っている人は「ヤッター」とは思わない、ひたすら恐怖のみだろう。
江川氏も書いているように人が乗る飛行機は絶対安全が求められる完全な形でなければいけない。完全なシンメトリーだからこそ美しいのである。