感動する甲子園

私とほぼ同じ論調で甲子園を語る記事を発見。

全国で多発する熱中症被害を受けて、「涼しい秋の開催にしたほうがいいのでは」
ドーム球場の開催を検討すべき」などと「夏の甲子園」に異論を唱える方たちが
続発しているのだ。
 「バカ言うな! 暑いなかでやるから甲子園なんだ」
「100年も続く“聖地”をそう簡単に動かせるか」と怒りで発狂する方も
いらっしゃるかもしれないが、そこは安心していただきたい。
 いまの日本社会の状況を冷静かつ客観的に振り返れば、
夏の甲子園」がなくなることなどまずありえないからだ。

(1)「甲子園ムラ」の強い抵抗

(2)ジャーナリズムの忖度(そんたく)

(3)「運動部しごき自慢おじさん」が組織の要職に就いている

「甲子園利権」を堅守しようという力学
「甲子園ムラ」ともいうべき既得権益集団からすれば、球児や観客がバタバタ倒れたくらいで、開催時期や場所を変更するなどありえないのである。
政・官・民にわたって膨大な人々が食い扶持としている原発という巨大利権が、史上最悪の事故を起こしたにもかかわらずストップできないのと同じ構図だ。

例えば、7月22日、新潟の私立加茂暁星高校が地方予選準決勝で敗れたことを、「練習直後に倒れ…亡き女子マネジャーへ、捧げる2本塁打」(朝日新聞デジタル 2018年7月22日)なんて感動秘話っぽく報道したが、実はこの女子マネージャーは、「練習後に約3.5キロ離れた学校に戻るため、選手とともにランニングをさせられて倒れた」のである。
本来、この女生徒に捧げなくてはいけないのは「2塁打」などではなく、なぜ子どもの命を育むはずの学校で、このような事態が起きたのかという原因究明と、「科学的指導とかけ離れた根性論」が横行して、毎年のように死者を出す野球部をどう変えていくのかという改善策であるはずなのに、かなり強引な力技で、「感動ドラマ」へすり替えているのだ。
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もう私の書くことがなくなってしまった。
書かれているとおりだと思う。
テレビでは例のボクシングの理事の話が盛り上がっている。
マチュアスポーツは一部の人達にはおいしい食い扶持になっているそうだ。
食い扶持と考えればスーパーでキャベツをいくらで売るかを決めるのと大差ない話。
要は、金儲けして家族を養うということだな。