1980年代のスキーブームの時、私の世代はまさにど真ん中だった。
高校の時のスキー合宿、学生時代、就職してからの20代、
冬はスキー一色だった。
すっかり寒さに弱くなった今日この頃、なんであんな寒い場所で
楽しく過ごせたのか不思議なくらいである。
ホイチョイプロダクションの私をスキーに連れてっての影響を
かなり強く受けてしまい、ブランド品の用具、クルマは4WD、最後は別荘と
スキーのためにどんだけ投資したか分からない。
貧乏だった我が家にも多少のバブルがあったのだった。
リフト待ちをどれだけ回避出来るか、往復の渋滞をどれだけ回避出来るか、
知恵を絞ったものだった。
最後はリフト券をいかに安くするかを研究、
朝イチでゲレンデに入り昼前の混雑まですべりまくり、駐車場で10時過ぎに
到着した人たちに1日券を売ったりした。
逆に、昼過ぎにゲレンデに行き早上がりの人からリフト券を譲ってもらったり
知恵を絞ったものだった。
ニュース記事によると
スキー人口はピーク時の三分の一、スキー場も1割以上減少したそうだ。
頼みのボードも02年がピークで激減しているそうだ。
今の若者はスキーは割高で面倒らしい。
バブル前後のスキーを経験した人はわかると思うが、スキー産業は
できるだけ金を絞りとってやろうというのがミエミエだった。
1000円のまずいカレーライスとか、1万円以上もする民宿まがいの汚いホテルとか。
駐車場はひどいときは2日で3000円以上とられた。
雪深い田舎の村はスキー景気にわいたのだった。
こうしてスキー産業は衰退していったのである。
当時スキー場で働いている人たちはほとんど地元のオジサンオバサン、
おおよそスキーには興味も経験も無い人達ばかり。
どんな事業もビジョンの無い人達が金儲けのみの目的でゴリ押しすれば
10年ちょっとでこうなってしまうのである。