携帯依存症と別れの情景、シンデレラエクスプレス

ちょっと前の読売新聞のコラムに若者の携帯依存があった。
記事を読んで国鉄からJRに変わる頃の新幹線のCM、
シンデレラエクスプレスを思い出した。
大阪行きの最終のひかりが発車するホームでは遠距離恋愛する
多くのカップルが別れを惜しんでいる。
ドアが閉まり走り出し、赤いテールランプが闇に消えていく。
ひとりぼっちになった寂しさに耐えながら家路につく。
これは新幹線に限ったことでなく、クラスメイトでも同じ。
じゃあね、と別れてから翌朝会うまではひとりぼっちである。
誰もがひとりぼっちであり、だからこそ友人や恋人を大切にする。
ひとりぼっちの寂しさを癒すために
ある人は手紙や交換日記をしたためる。
ある人は音楽や詩に癒しを求める。
こうして文学や音楽は発展してきたし、若い人たちが台頭してきた。
ところが…である。
新幹線のドアが閉まって走り出す。
テールランプがまだ見えている間にメール受信。
いつもつながっている。
それはそれでよいことなのだが、上記の話を全て反故にしている。
(反故−役に立たなくなった物事)
今の若者の多くが友人を寂しさを紛らすアイテムとしか考えていない。
本来は人は助け合って生きていくものという大儀を捨てて
うわべだけのつながりだけをつまみ食いしている。
携帯の小さな画面に執着するというのがその証拠でもある。
ひとりぼっちを異常に恐れ、仲間はずれにならないように努力する。
文学や音楽の良さもわからず携帯に依存するほど心はさらに寂しくなっていく。