4日朝日新聞朝刊に、『「わかりやすい」の危うさ』
という対談が載っていた。
題名にひかれて読んでみた。
政治などは本来すごくわかりにくいもの。
それを簡単な図式でyesかnoでわかりやすく、というのは
実は本質ではない。
ところが、支持率や選挙のためにあえて曲げてわかりやすくしている。
…というもの。
そう言えば小泉政権時、郵政選挙があった。
小泉は就任以来、わかりやすいパフォーマンスで支持率を稼いだ。
かく言う私も小泉支持だった。
その集大成が郵政選挙。自民党は圧勝した。
郵政民営化がyesなら自民党、というわかりやすい選挙だった。
今の政治経済関係の討論番組を見ると、さかんに
小泉政権の負の遺産、という言葉が出てくる。
わかりやすいというのはとても危うい。
わかりにくい複雑なものをバカには(大変失礼)わからない。
わかった、わかりやすいというのは曲げられているか、ある意味間違っている。
最近学校でも先生に対してわかりやすく教えろと言う要求が強い。
連立方程式や微分積分、二次関数はもともと理解するのが難しい。
運動方程式や分子構造や分子運動はもっと難しい。
わかるように教えろ、わかりやすく教えろと言われても
生徒にそれまでの基礎力が身に付いているかどうかによって
大きく左右される。
もともと数学や理科が嫌いでろくすぽ勉強してこなかった人に
わからせるのはかなり難しい。
ところが何問か例題を出しておいて式のたてかた、計算のしかただけ
教えると「わかったわかった」といって喜ぶ。
もちろんこういう知識はテスト終了と同時にほとんど吹っ飛ぶ。
(勉強しないよりはマシだが)
多くの人たちは本質や中身や理論をわかろうとしないで
やり方や答えの出し方だけを教わって、
「わかった、わかりやすい」という。