卒業式

小奇麗にしたオバハンたちが我が家の前を何人も通る。
今日は県内の高校の卒業式だそうだ。
卒業式というと何だか思い出とか感動とかてんこ盛りの予感がするが
私の場合、全く何もない思い出。
そもそも、卒業式で盛り上がるのは友人との別れ。
ところが私の場合友人がいなかったわけで、誰とも握手するわけでもなく
誰かのアルバムに寄せ書きを書いたり、書いてもらったりもない。
かわいい女の子にボタンをあげることもないし、手紙を受け取ることもない。
他の人が別れで盛り上がっている中、一人で校門を出た記憶がある。
友人が少ない気楽さの代償として、こういう時は人一倍寂しい思いをする。
もう一つ
卒業式や成人式でやたら盛り上がる奴らがいる。
学校生活をいろいろな活動で頑張った人がいたとする。
こういう人が卒業式で盛り上がるだろうか。
やったー、とか、ありがとー、とか声を上げるだろうか。
人にもよると思うが答えはNOだな。
たいがい大声で盛り上がる奴らは普段たいしたことない。
大したことないからこういう時にせめて自己顕示するのである。
頑張っていた人がこれでさよならだと言われて盛り上がるわけがない。
成人式についても似たようなことが言える。
めでたいというのはバンザイという意味ではない。
子供時代が終わりというある意味悲しい儀式なのだ。
大人になるということはタバコと酒以外は悲しいことや苦しいことが増えるわけで
イエーイ、とか言って馬鹿騒ぎする気分にはなれない。
これも普段からチャラチャラ生きていてあまり大人になる自覚の無い人が異常に盛り上がる。
それもこれも、自分が全く盛り上がらずにここまで来てしまった恨めしさもあるか。