橋下と桜宮高の入試中止

橋下が入試をやめろ、教員を入れ替えろというのはある意味民意である。
基本的に民意は公務員が嫌いである。
役所や警官や教員の対応が悪いというのが基本である。
ちょっとでも不祥事が起きようものなら、マスコミはこぞって書き立て
ネットではにわか評論家たちが『許せない』となるわけで。
そして、もう一つの民意が『ぶち壊せ』である。
子供の頃から、積み木や砂で作ったものを壊すのを喜ぶ。
気に入らない人を殴ったり、お茶碗を壊すとスッキリするという人は多い。
何年もかけて構築されたモノをぶっ壊すというのは民意なのであろう。
正義の味方の橋下は口先だけでそれを叶えてくれる。
橋下がすごいのは全部口先だけで、個人的に努力していることはほとんどない。
もちろん、精力的に動きまわってはいるけど。
さて、今回の入試取りやめの要請。
受験生がかわいそうだという報道の立ち位置なんだけどポイントがずれている。
橋下の発言は今高校にいる生徒たちの全否定である。
今まで頑張ってきた活動をダメだと烙印を押してしまった。
指導してきた教員を全員責任をとって移動ということはそういうことだ。
受験生などその次の問題なのだが。
橋下の学校批判は、第三者には組織や教員批判に映るのだけど
高校生や保護者やOBには自分たちの批判、否定と映るはずだ。
ダメな高校を卒業しても意味が無い、ととらえられてもおかしくない。
教育現場というのは、微妙なバランスで成り立っている。
一つ悪いところがあるからとマスコミや橋下のような短絡的な考え方は
罪のない多くの人を傷つけることをわかっていない。
彼らの人気取りのために結局割をくうのはまじめにやっている現場の人たちなのだ。