男子大学生を発見か、熊本地震


今回の事案には常に二つの価値観がある。
一つは肉親の心の叫びである。
遺骨でもいいから早く返して欲しい。
もう一つは、捜索する側の気持ち。
早く見つけてあげたいけど、二次災害はかんべんして欲しい。
現場の危険度から、捜索はのびのびになっていたわけで。
ところが、親の執念が下流のクルマの残骸発見に。
そして、今日の遺体発見につながった。
肉親の気持ちからすれば、早くというのはもっともなこと。
しかしながら、現場の惨状から見ると捜索隊を危険にさせられない。
4ヶ月近くこのジレンマが続いたわけで。
最終的には親の心が天に届いたということになる。
よかった。というにはあまりにも悲しい結末だ。
災害は全ての人に不幸なのだ。
もう一つ
数十年前の昭和、私が大学進学を考えていた頃、
私の親は「家から通える範囲」という条件を。
当時千葉県東葛地区に住んでいたので、千葉県内と都心しか選択肢がなかった。
大学の八王子に移転が進んでいた時代、通える範囲はかなり限られた。
今回の事件で私の親の気持ちが少しだけわかった気がする。
遠い火山のカルデラの中では心配だよな。