女性蔑視ヤジは自民・大西衆院議員

女性蔑視ヤジはいけないそうである。
どんなことがいけないかというと
「まず自分が子供を産まないとダメだぞ」
だそうだ。
子供を産む、ということが女性蔑視になるそうだ。
ということは、女性を尊重するということは
「子供を産まなくても良いぞ」ということになる。
『そういう意味ではないでしょう。あなたはわかっていない』
という声が聞こえてきそうである。
それじゃあ、何と言えば女性蔑視でなくなるのか。
『ようするに、女性に対して子供を産むの産まないのというべきではない』
と、いうのが答えなのだろうか。
それならそれで、『少子化問題』を議論すること自体も女性蔑視だろう。
産むか産まないかは女性の自由、尊厳であって他人からとやかく言われるものではない。
まして、独身の女性が出産しない女性が少子化を語ることもつじつまが合わないことになる。
結婚しないこと、出産しないことは自分の意志であって他人から言われるものではない。
つまり、法整備をして保育所を増やして『さあ産め』というのは
考えようによってはものすごく女性蔑視である。
女性に社会進出しろ、結婚して妊娠しろ、出産して子育てしろ、さらに社会進出しろ、
というのは女性蔑視ではなく何なのか。