小さい記事で『中学生が飛び降り…』というニュースを見た。
マスコミよ、お前たちが殺したようなものなのだよ。
誰々が悪いと書き立てて何が報道の自由だ。
やっていることは中学生の加害者と大差ない。
いじめる相手を見つけては攻撃しているだけではないか。
さて、先日の私のブログに
誰かを攻撃していないと自分がやられそうな気持に押しつぶされそうになるのだろう。
こういう人達は決して幸福にはなれない、幸福感を感じることもないのだろう。
ひたすら、誰々が悪いと叫び続ける人生なのだろう。
という記事をのせた。
よくよく考えてみると『幸福感を感じることもないのだろう』は間違いかな。
幸福感かどうかは別にしても快感を求めるのが人間である。
頼まれもしないことをコソコソ一所懸命やるというのは快感幸福感のためなんだろう。
他人をいじめることに快感があるのか。
答えは限りなくNoだ。
ムシャクシャしているときに誰かに当たるという下等な人間はいることはいるが。
考えられるのは協調だろうか。
みんなでやる、というのがよい。
自分一人ではない、同調してくれる人がいるという安心感。
人間は誰もが社会から疎外されることを強く恐れる。
逆に自分の意見や行動を同意してくれるというのは強い快感なのだ。
下等な人は同意されにくいので疎外感が強い。
だからわかりやすい悪いやつを叩くのだ。マスコミしかり、同調する世論もしかり。
加害者中学生レベルでは自分より下等で悪い人などこの世にはいない。
そこで気に入らないとか気持ち悪いという人をターゲットにするのだな。
何人かでいじめれば一体感といった快感が得られるわけだ。
スポーツとか勉強にそのエネルギーを向けろと言われるのだろうが
何もできないから犯罪行為に走るわけで。
マスコミがあんなに低俗な報道を繰り返しているのにやめないのは
報道の自由だ、と開き直っていられるのは
自分たちと同等の下等な人たちの同意を得られるからなのだ。