長野県人


私は生まれも育ちも就職も神奈川東京千葉の範囲である。現住所は引っ越しのたびに変わるわけだが両親は長野県人、結婚も長野でしたことで本籍が長野県のままだった。当然私も各種免許の本籍地に長野県と書いてあった。実際祖父母や伯父が長野県だったので生きている間は30すぎまでスキーも兼ねて年に6回は親の実家で居候していた。祖父母だけでなく伯父伯母は私のことを我が子のようにかわいがってくれた。長野のいとこも兄弟のように今でも付き合いしている。
そんないとこから封書が届いた。中をみたら「長野県を忘れるな」みたいなメモとこのカレンダー。
ケンミンショーでも長野といえば必ず出てくる長野県の歌「信濃の国」がてっぺんに印刷してある。いとこはその下の鉄道ネタを見せたかったのだろうけど。信濃の国インパクトが半端ない。(笑)
そういえば昭和の頃の祖父母の家にも長野県の地図の入ったカレンダーが貼ってあったなあ。地図なんて戦争でも起きない限り変わらないのだけどね。長野県人の愛を感じてしまうのである。

自分の両親の介護で昨日は面倒な事があった。今日は義父母の介護の件で午後面倒なことが。腰が痛くなるとか下の世話とか肉体的な苦痛はないのだけど、ケアマネや医師や保険課職員などと打ち合わせや面談の立ち会い、さらには勝手に注文などしたりすれば業者に謝って取り消しを頼んだり。もちろん施設からのいろいろな報告などがあり、入金の必要もある。一人で全部背負い込んでるわけではないが4人もいるので仕事量が多い。大抵が不愉快なことなのでストレスが貯まる。昨日はおふくろにきつく言ってきてモヤモヤして帰宅。PCをつけて自分の所有したクルマのデータベースに加筆をしていた。クルマの売買書類を引っ張り出してデータを付け加える。今回は買った価格と売った価格を入力して残価率を出す数式を作っていた。乗っていた年数で買取価格は変わってくるので、といろいろ数式を考えてストレス解消である。クルマのことを考えているときが一番嫌なことを忘れられるかな。